I’m humbled. [心のとびらをひらく]

「I’m humbled. じぶんが謙虚な気持ちになれるという意味です。ありがたいと思える時。共感を抱く気持ち。物事を素直に受け入れる時、心のとびらがすっと開きます。humbleになれば、未知の可能性が生まれます。それは、じぶんに気づくこと。声に出して言ってみましょう。静穏の空気に声が響く時、humbleになっています。

共に食べている [じぶんを見る目が変われば世界は変わる]

草食動物は草だけ食べてなぜあんなに大きくなるの?お腹にセルロースを分解する微生物が住んでいてタンパク質をつくりだすからです。お互い助けあい、共に生きているのです。ふだん私たちは、ものごとをバラバラに見ることに慣れています。じぶんとのつながりで見ると、見え方が変わります。じぶん自身を見る目が変われば世界は変わるのです。

Change the way you look at yourself. Then the world will change.

空気つぶの海で生きている [音って何?]

音って何?空気分子が運動してできる気圧の変化のこと。空気つぶの動きが波のように伝わり、濃淡ができます。耳は速い気圧変動を敏感に捉えます。あなたの声も声帯のふるえでつくる気圧の変動。私たちは、空気のつぶの海の中で暮らしているのです。エンパシームは、目に見えない空気つぶの動きを、見えるようにイメージにして表現します。

We live in the sea of air particles.(空気のつぶの海の中で暮らしている)

見え方を変えるには?(見方を変えるのではなく)

ものの見方はどうしたら変わりますか?頭で考えはじめないで、橋の向こう側でも、山の上でも、ちがって見える所にいくことです。いいえ、もっと身近にあります。それは、相手の身になって、じぶんを見ることです。相手は人間でなく、花でも虫でも、目の前の果物でも茶碗でもよいのです。そのようにふるまうことで、自然に見え方が変わります。

Just walk, listen and touch. (歩いて、聞いて、触れる)

パテマータ、マテマータ II [身体で感じるから、つながる]

パテマータ、マテマータ(痛むから、学ぶ)は学びの原点です。胸が痛む。腹が痛む。心が痛む。身体で痛みを感じることが、そのまま、学びになります。学びは、じぶんと相手がつながることです。痛みの感覚が、つながりになります。痛みがなくなれば、忘れてしまいます。だから、ひとこと、声にだして言っておきましょう。痛みを感じている時に。

Pathemata, Mathemata(パテマータ、マテマータ)

「人生の目的は幸福」ではない

人生の目的は幸福ではない。ラルフ・エマーソンは言います。「人の役に立ち、活かされること。人の敬愛に値し、すべての物事に、思いやり、慈しみ、共感の心をもてること。生きたという実感をもてることである。」幸福が人生の目的だと漠然と思い込んでいると、肝心な「行動」を忘れてしまい、「幸福の道」ができにくくなるのかもしれません。

Sense your way. (歩む実感を)

だれもが相互存在のじぶん

ティク・ナット・ハンは、言います。「一枚の紙は、多くの要素の結実であるように、ひとりの人間は、その個人ではない要素で成り立っている。」私たちは Inter-being「相互的存在」です。そのような存在である、じぶん自身と関わることが、本来の「瞑想」の意味です。「もの」に共感することは、存在の本質に関わることなのです。

Clouds are floating in the paper.(この紙の中に雲が浮かんでいる)

かぞえるように生きると確実に変わる

Count your blessings(受けた恩恵の数を数えよ)は、具体的なプラクティスになります。素直に、ものごとを数えるように生きてみると、確実にものの見方が変わります。ひとつひとつ、大切なことばを声に出して、数えられるようにすると実感が湧いてきます。数えるとはふるまうこと、確かめること。生きる実感をつくること。

There’s a difference between knowing the path and walking the path.(道を知っていることと、道を歩くことはちがう)

共感とエコノミーの関係

近代経済学の父・アダム・スミス、実は人間の心を研究しました。「共感」をもとにして、社会秩序を確立することを理論化したのが『国富論・国の豊かさと本質についての研究』です。一方、エコノミーは共感の要素でもあります。人間の思考や行動は、心身・環境の影響で変化します。心のエネルギーをどう使うか。人間の心もまたエコノミーです。

I’m energized. (元気がわいてくる)

思い出すから記憶になる

記憶があるから、思い出すのではありません。思い出すから、記憶になるのです。思い出すのは、脳がひとりでやっているわけでありません。道具の手助けなしには、なかなかでてこないものです。記憶は「つながり」です。つながりによって、その都度、アウトプットされてくるものです。50年以上前の、一枚の写真からのエピソードです。

We don’t remember days. We remember moments.