Empathemia,『There’s sound only in my mind』

It exists in your imagination.(想像の中に存在する)

想像してみてください。

森で風が吹いています。
オークの木々がゆれています。
どんな音がしますか?

ザワザワ、音がしているはずですよね。
いいえ。音はしていません。

そんなこと、ないでしょ?
音がしないはずない。
いいえ、しません。木々の揺らぎ自体に音はありません。

音はあなたがそこにいる時だけ、あなたの耳に聞こえます。

リサ・バレットさんは言います。

「森で枝が落ちても、音もなく、ただ空気が動くだけである。音は世界で感知される出来事ではない。音は、気圧の変化を感知する身体と、その変化を意味あるものにする脳とが、世界と相互作用することによって構築される経験。」(*注1)

聞こえないはずのものが、ある。
聞こえないのに、ある。
というより、聞こえないから、想像するのです。
聞こえないから、あるのです。

ほろほろと 山吹散るか 滝の音

松尾芭蕉の句です。

よく、こんな解説がされます。
「轟々と激しい音を立てて岩間を流れ落ちる滝を背景に、黄金色の山吹が川岸に咲きみだれ、ほろほろと散っていく様子がとても美しいことを詠っている」
本当にそうでしょうか?

そうではないのではないか。
音を聞いて、山吹が散る光景を脳裏に思い浮かべたのです。

目の前の風景を述べているのではなく、
そこにいないからこそ、音が引き起こす想像の情景、心の世界を表現しているのです。(*注2)

出典・参照:以下のエンパレットなど、Lisa F. Barrett『How emotion is made』

(*注1)音を認識するメカニズムについてのエンパレットは、円と三角とカタツムリ [声をカタチに変換するフィルター]

(*注2)心の世界を歌っている、という画期的な芭蕉論にもとづいて、捉え直すと、一般的な解説がさかさまになります。

心の世界は五感を結いあわす[さかさまにすると誤解にも気づく]

鏡にうつるじぶん (2)[そのじぶんを見るじぶんがうつる時]

感情とは「感覚の意味づくり」のこと