
Let’s think about it.(考えてみよう)
古池や 蛙飛こむ 水のおと
『松尾芭蕉・奥の細道』について、長谷川櫂さんは、このように説きます。
「ふつうこの句は、古池に蛙が飛びこんで水の音がしたと解釈されるが、本当はそういう意味の句ではない。「古池や」「蛙飛こむ水のおと」の順番にできたのではなく、最初に「蛙飛こむ水のおと」ができて、あとから「古池や」をかぶせた。このうち最初にできた「蛙飛こむ水のおと」は、じっさいに聞こえた現実の音を言葉で写しとったもの。
一方、「古池」は現実の古池ではない。なぜなら、蛙が水に飛びこむ音を聞いただけで、蛙が水に飛びこむところは見ていないから。芭蕉は、蛙が飛び込む音を聞いて古池を思いうかべた。「古池」は「蛙飛こむ水のおと」が芭蕉の心に呼び起こした幻影。」
古池は、心の世界なのです!
これは俳句の話ですが、人間の想像力について、重要な手がかりを与えてくれます。
想像力とは、異質なもの、反対のものを、イコールでつなぎあわせること。
ひらめきは、五感を結いあわせるような営み。
閑かさや岩にしみいる蝉の声
「なんたる閑かさ、蝉が岩にしみいるように鳴いてゐる」のではありません。蝉がミンミン鳴いているところは、閑かでありません。岩にしみいるような蝉の声に身体で触れて、現実のかなたに広がる天地の「閑さ」。「閑さ」とは現実の静けさではなく、心の世界です。腑に落ちますね。心当たりもあります。さかさまだったんですね。(*注1)
心の世界は、五感を結いあわすこと。
Inspire all your senses.(五感を澄まして)
出典・参照:松尾芭蕉『奥の細道』、長谷川櫂『古池に蛙は飛び込んだか』『奥の細道』
(*注1) この論理は、「AだからBである」という単純な因果の説明ではありません。むしろ、感じ取られたBからさかのぼって、「Aがあったからではないか」と原因を推理する発想です。このように、結果や気づきから、まだ見えていない原因や成り立ちを推し量る推論形式を、アブダクション(abduction)と呼びます。
芭蕉の句でいえば、「蝉が鳴いているから閑かだ」という説明ではありません。「深い閑かさが感じられた。その閑かさは、蝉の声が岩にしみいるように身体に届いたからではないか」と、さかのぼって腑に落ちるのです。このようにしてみると、芭蕉の句には、このアブダクションによる「さかさま発想」に満ちていることがわかります。
以下のエンパレットノートにもアブダクションの話を載せています。
