Empathemian, Menlo Park, California

人間は宇宙の一部。この身を包んでいる自然と共に生きています。

すべてのものごとは、きっとおなじ原理で働いているのだろう、と想像したりもします。
でも、それは、なかなか、確かめようがありません。

そうです、自分でじぶんを観察することが、なかなかむずかしいのですね。
観察者になろうとしても、自分は当事者であるからです。
私たちは、気がつかないうちにいろいろな判断をし、また体験をしながら生きています。

観察者であり、当事者。判断者であり、体験者。
そのような存在であることは、変えられません。

メーテルリンクは、こう言います。

「外からもたらされる手がかりというのは、どんなに些細であっても、われわれにとってひじょうに大切な、貴重なものである。山や海や星は、人間がそれらの生の秘密を握ることがあれば、多くのことを語ってくれるであろう。それに比べれば、花々がもたらしてくれた手がかりは、おそらくほんのわずかのことにすぎまい。

しかしながら、この手がかりによってわれわれはあらゆる事物を活気づけている精神が、あるいはあらゆる事物から発散する精神が、われわれの身体を活気づけている精神と本質を同じくするものなのだと、より一層の確信をもって考えることができる。」

実は、私たちと、しぜんの物事の本質は同じです。
みな同じように、活気をもち、自然に生き生きとする姿はおなじ。
その貴重な手がかりが、すぐ目の前にあるのです。
たしかめようがないのではなく、ふれることを忘れているだけなのです。

じぶんと世界を知る知恵は、身近にある。

「たしかめる」とは、手で心で、しかとふれること。

Keep in touch.(しかと、ふれよ)

「心の世界は五感を結いあわす」

「じぶんへのサイエンスを見つける」

出典・参照:モーリス・メーテルリンク『花の知恵』

モーリス・メーテルリンク