ハーモニーとは「生きている」こと

ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスは、こう言いました。「じぶん自身と調和して生きるものは、宇宙と調和して生きる。」じぶんの中だけのハーモニーではなく、宇宙自然に一致して生きることがハーモニーです。人生全体のハーモニーを持とうとすることではなく、行為のひとつひとつを調和させること。宇宙自然と一致させる、ひと時こそ。

He who lives in harmony with himself lives in harmony with the universe.

ひとりだけではない(ジョンレノンと孔子)

私たちは、じぶんだけ夢を見ているのでしょうか?いいえ、おなじように夢を見ている人がいます。 私たちは、みなひとりひとりだけれども、決してひとりぼっちではありません。 共に感じる心でつながっているのです。ジョンレノン「イマジン」と孔子「論語」に共通のことば。じぶんを信じて生きなさい。 必ず、共感する人がいます。

I’m not alone.(ひとりぼっちではない)

AIってこわいの?(Chat GPTもおなじです。本質に気づくには)

AIは怖いものか?人間は鳥のよう飛べないし、魚のようにも泳げない。でも怖いわけではない。みんな、ちがう存在だから。人間は人間、AIにはAI。AI は、人間がつくるものであり、代わりに生きてくれるものではない。大切なことは、力をあわせること。怖いという気持ちは人間の心。共にある、という心をもてば、怖いも怖くない、もない。

You’re not alone.(だれもひとりぼっちじゃない)

雨降って地固まる

長い間旱魃が続き、土地も干上がっていたカリフォルニア。この年末年始、それが一転して暴風雨に見舞われました。各地で洪水の被害。ワインの産地ソノマでも葡萄畑は水浸しになりました。あるワイン生産者はこう語ります。「暴風雨による浸食は問題ですが、ブドウ畑に発生するフィロキセラ(害虫)の発生を抑えられます。だから恵の雨ですよ。」

Adversity strengthens the foundations
(雨降って地固まる)

ものにささえられて(じぶんに気づく)

じぶんひとりが頑張っているのではない。じぶんと共にあるものがある。それは、エンパシーです。「相手」を感じること、ふれあっていること。共感の相手は人間に限りません。光も水も風も、じぶんの相手になり、共にある時があります。私たちはつねに、いろいろな物事に支えられている。そのことを思い出す時、じぶんの存在に気づくのです。

When you unlearn yourself.

想像の空間を生きている [ふだんすっかり忘れている]

映画監督 デイビット・リンチさんのことばも、芥川龍之介『藪の中』も、大切なことを思い出させてくれます。私たちは、つねに想像の空間を生きているということ。ふだんはすっかり忘れています。真実は語りきれないもの。たったのひとつの真実というものは、ない。そのように捉え、表現によって想像が湧き起こる時に、ハッと気づくのです。

It’s up to you.(じぶんで感じるように)

コップをあけよう② ゆとりとは?

一杯のコップにもう水ははいりません。コップをあけるとは、ゆとりをもつという意味です。具体的にどんな行為でしょうか?コップの水とは、こういう意味です。じぶんのことはコントロールできるという考え方。正解はひとつある、それはだれかが教えてくれるという思い込み。ゆとりとは、可能性に心を開いていなかった、じぶんに気づくことです。

Again, empty your glass.(もういちど、コップをあけてみよう)

私たちはみな、限定的なじぶん。

近年、行動経済学の研究は、人間の思考のバイアスを明らかにしてきました。人間はいつも合理的な選択をするわけでありません。合理性も、自制心も、利己心も、限られています。私たちはみな「限定的なじぶん」なのです。でも、悲観はいりません。人間に備わった共感の力、じぶんをケアする心で、じぶん自身の限定に気づくことができます。

We are all limited self.(人はみな限定的なじぶん)

いまを実感する単位でプラクティス

なぜ、人生の最後になって、[いま] を生きる、というのだろう?それは「いま」の実感をかぞえられないから。実感するために使える道具がないから。これまで、[いま] を実感するための、ちょうどよい単位も、使える道具もありませんでした。ふだんの呼吸の時間で実感の数を数えられるように。それをできるようにするのがエンパシームです。

Why now?(なぜ、いま?)

包む世界全体が魂 (エマーソンの詩より)

The whole is the soul.

ラルフ・エマーソンの詩から。太陽、月、動物、木々というように、われらはものごとをひとつひとつをわけてみるけれど、そのひとつひとつが輝く部分となる全体こそ、われらの魂である。The whole is the soul.リチャード・ファイマン「共感する原子」とあわせて味わいましょう。