Empathemian, Pulgas Open Space Preserve

実生(みしょう)。種子から芽生えること。

岩田慶治『花の宇宙誌』の一節から。

「禅では「莫妄想」、つまり、「妄想することなかれ」ということをいう。気がかかりなこと、考えても仕方ないことを綺麗さっぱり忘れる。クヨクヨと無駄な思わくにとらわれない。そうすると、あたらしい、ユニークなアイディアがうかびあがってくる。雑多なイメージを切り捨てるところから、新鮮な着想がうかびあがってくる。つまり、禅は創造的活動のためにはたいへん有益。そういう意見であった。

この意見は一読して「なるほど」と思われるところがあるかもしれない。それなりの効用もあるかもしれない。しかし、頭の中のモヤモヤの掃除というだけでは禅とは何の関係もない。道元禅師の表現によれば、「身心脱落」だけではだめで、その脱落した世界の中から身心の姿がそれとして自覚されなければならない。坐禅の形が浮かび上がってこなくては。

妄想が消滅した心のただなかから、新しいアイディアがうかぶ。その新しいアイディアの「出所」が了解されていなければならない。「莫妄想」といい、「非思量」というのは、単に妄念にとらわれない、クヨクヨしないというだけではなくて、自分自身の根っこ、その「出所」に出会うことなのである。」

岩田さんは、それは実生のことだと言います。発芽したばかりの植物のように、芽生えることだと。

まず、何かをすることが大切。でも、もっと大切なのは、ふりかえることです。
ふりかえることで、芽吹くのです。
じぶんの思い、考え、ふるまいをたしかめることなしには、芽生えません。

I am a seed.(じぶんという土壌から芽生える、ひと粒の種子)

My voice is the seed.(素直な、直に感じられる素声のふるまいがタネになる)

「種の中の種子が育つように」

「世界は「原因→結果」だけではない」

「ことばの種は、あとから芽生える」

出典・参照:岩田慶治『花の宇宙誌』、『毎プラガイド』

岩田慶治