身につける ④ いちばん奥の窓をあけよう(これが真髄)

縦軸(じぶん・相手)、横軸(する・しない)を組み合わせてできた4つの窓で、気づくことがあります。ゴールデンルールの奥の窓(相手にしてあげたいと思うことはじぶんにもする)とシルバールールの奥の窓(相手にしないことは、じぶんにもしない)があります。実は、人のことを先に考えているようでも、それはじぶん中心の発想だったのです。

Open all four windows. (4つの窓をみんなあけよう)

身につける ③ 実は見えないルールがある

人間関係に大切なルールとは?① ゴールデンルール(じぶんがしてほしいと思うことを、人にもする)と② シルバールール(じぶんが人にされたくないと思うことは、人にもしない)。①だけではなく、②が大切。「ほどよい」距離感とか、「絶妙な」バランスを保てるのが理想ですが、思いやりは、相手の身になること。相手にたずねることです。

Don’t treat others the way you would not like them to treat you.(じぶんがされたくないことは、人にもしない)

身につける ② Skin in the game

身をもってすることと、そうではないことには、決定的なちがいがあります。腹の痛まない他人のアドバイスは、過去のデータによる一般論です。じぶんの未来は、他人の過去の再現ではありません。じぶんで身をもってして、痛みがあるからこそ、未知にむきあう力になります。リスクをとる覚悟や大切さの度あいを確かめるフィルターなのです。

Put skin in the game.(身をもってせよ)

身につける ① 真髄(肌身の感覚)

ものごとを身につけるための真髄は「痛み」です。じぶんでやってみて、失敗を「肌身で感じて」深くしっかり身につけられるのです。たとえば、英語の学習。話そうとするから、話す人になれるのです。「走らないマラソンランナー」はいないのと同じこと。うまくいかないという、微かな、失敗の痛み。その体感こそが、プラクティスの真髄です。

Put skin in the game.(身をもってやれ)

マインドフルとは修養すること

マインドフルネス・プラクティスとは、修養することです。修養は「身をもっておこない、心を養う」ことです。「修」は「身をおさめる」こと。学んで身につけることです。「養」の「やしなう」は、じぶんという土に種をまき、育てるイメージ。じぶんを気づかい、自身を励ますことばが種になり、それを養っていく道のりが修養になります。

Cultivate Yourself.(心の手入れをしよう)

作法の中に学びがある|くりかえしに宿るエッセンス

エンパシームは、共感的想像力の発揮を作法に変え、日々のプラクティスにします。『正法眼蔵』の体現です。道元禅師は、作法を身につけることが安らかに生きることだと説きます。学習もおなじです。例えば、じぶんを知るとは、じぶんを知ろうとする行為そのもののこと。じぶんを忘れて周囲とふれあうことです。自己の修養とは、共感の作法です。

What matters most?(いちばん本質的ことは?)

多くを生きるとは?(こんなふうに、瞬間を耕して)

ルソーは「最も多く生きた人とは、生を最も多く感じた人である」と言います。多くを感じるとは、生きているという実感の数が多いことです。私たちは宇宙の一部。じぶんを包む自然とふれあい、つながりが感じられる、その瞬間の中に実感は生まれます。それを思い出して、ひと息の肉声でことばにすれば、脳内にインナースピーチの種が育ちます。

Cultivate your moment.(じぶんの瞬間を耕せ)

安らかに生きるプラクティス[仏教ではなく、仏法]

仏教は、仏の教えと書きますが、これは明治につくられた言い方で、それまでは仏法でした。人間にとって最も切実なテーマは「生老病死」という「解決はできない」問題です。が、解決できずとも、安らかに生きることで「克服」できます。この宇宙のあらゆる存在に共感して、安らかに生きるプラクティス。そちらへみちびいてくれる智慧が仏法です。

Relax.Let it go.(心を楽にして)

出力こそ、最大の学び|Output is Input

「読書百遍、意おのずから通ず」と言います。何度も繰り返し読めば、内容が自然にわかるようになる。素読と呼ばれるこの学習方法は、声に出して読むことです。師や友と学ぶ環境の中で、姿勢を整え、 空間にことばを放ちます。それは身体の中に響き、空間からも耳に届きます。ことばを出力することで脳にも入力が刻まれ、身につくのです。

Feel your voice.(じぶんの声にふれよ)

レッスンは、教わるものではなく、身につけるもの

教えてもらうことは学ぶための最善の方法のひとつ。でも「教えてもらう=身につくこと」ではありません。いくら教えてもらっても、じぶんでしないとできるようにはなりません。プラクティスしてはじめて、学びがはじまります。身体を使って身につけることです。身体を使うとは、脳の各領域を活性化させることです。身体を使うと心が働くのです。

Lessons are not given, they are taken.(レッスンは与えられるものではなく、学びとるもの)