
ティク・ナット・ハンはこう語ります。
「一枚の紙がある。この紙は、紙でない要素といえる、多くの要素の結実であるように、
ひとりの人間は、その個人ではない要素で成り立っている。」
この紙の中に、雲が浮かんでいる。
雲なしには水がない。水なしには樹は育たない。樹々なしに紙はできない。だから、この紙の中に雲がある。
一枚の紙の中に、太陽の光がある。
太陽の光なしに、森は育たず、人間も育たない。
「この一枚の紙と関係のないものが、何ひとつとしてないことを、「花の輝きの経(華厳経)は、教えている。」
じぶんという存在は、宇宙に包まれている。宇宙のひとつひとつと、共にある、じぶん。
その想像力によって、私たちは「じぶんが生きている」ということを知るのですね。
私たちは、Inter-being。みな、おたがいさま。
すべてが相互的な存在なのだと、ティク・ナット・ハンは、言います。
そのような存在であるじぶん自身と関わりをもつことが「瞑想」の意味である。
瞑想とは、そのように、じぶん自身と関わろうとすること。そのようにして、じぶんで気づくことなのです。
「もの」に共感すること。それは存在の本質。ハイデガーもこう言います。
「瓶という容器の本質に宿り続けるのは、大地と天空である。注がれたものを捧げることの全体こそ、瓶の瓶らしさである。」
すべてのものが相互存在。このじぶんも、相互存在のひとつ。
ことばにしてかみしめてみる時、すぅっと気持ちが楽になります。
じぶんで、じぶんの存在に気づく。
出典・参照:ティク・ナット・ハン『ビーイング・ピース』、マルティン・ハイデガー『技術とは何か』