母も時なり⑤|いちばんうれしいことば
94歳の誕生日を前に、母が語った「いちばんうれしいことば」。二十歳で八歳の娘の母となり、苦労を経て深い絆を築いた母。娘との突然の別れを乗り越え、今は私の妻から「お母さん」と呼ばれることを何より喜ぶ。1年半後の今日、病床の母にその肉声を聞かせると、声は出ないが、うなずき、口を動かして「そうよ」と応えた。たましいの絆よ。
94歳の誕生日を前に、母が語った「いちばんうれしいことば」。二十歳で八歳の娘の母となり、苦労を経て深い絆を築いた母。娘との突然の別れを乗り越え、今は私の妻から「お母さん」と呼ばれることを何より喜ぶ。1年半後の今日、病床の母にその肉声を聞かせると、声は出ないが、うなずき、口を動かして「そうよ」と応えた。たましいの絆よ。
誰もが自分の得を追求として前のめりになり、待つことを拒む姿勢になっている現代社会。待つとは「ある状態になること、その時の来るのを期待すること」です。相手が自然なら受け入れて待つことができるのに、日常生活は、待つことがガマンすること、損することのように思えてしまいます。待つプラクティスがいります。それは声を聴くことです。
All things come to those who wait.(すべては、待つ人に訪れる)
脳幹梗塞でことばを失った母が、1年半の回復を経て、長男の誕生日を「みんなで、盛大に」と語った。予定のない話でも、それは母の心にいま起きている真実である。記憶と想像は重なり、願いはまだない世界をことばにする。和歌の「もがな」「なむ」にも通じる、人が生きながら心の世界をつくり続ける、創発と回復の姿を母の声から見つめる。
Practice who you become.(なりたいじぶんを、プラクティスする)
オスカー・ワイルド作『幸福な王子』(The Happy Prince)。自己犠牲、無私の善行、心を通わせる友情の物語としてよく知られます。動けない王子の目となり、耳となり、手足となって働くツバメ。ふたりの行為は、共感。いのちを捧げて人助けをする道を共に歩んだのです。じぶんたちが存在することの意味を共に生きたのです。
Empathy is to act together.(共感とは共にふるまうこと)
私たちは、自分の中に何か欠けたものがあると考えますね。でも本当は「じぶんに」何かが欠けているのではなくて、じぶんの存在する世界を忘れているのです。じぶんを包んでいる世界。じぶんもその一部であることを忘れているのです。じぶんのミッシングピースを探すのではなく、じぶんがミッシングピースになっていることに気づくことです。
I am the missing piece.(じぶんのほうがミッシングピース)
上手い人の動作の共通点は「ムリ・ムダ・ムラ」が少ないこと。(1)していることにムリがある(力みすぎ、じぶんのキャパを超えている)(2)していることにムダがある(余計なところに力がかかっている、じぶんの力をムダにしている)(3)していることにムラがある(バラついている、安定していない)この3つを減らすと効率・効果が高まります。
Less is more.(バラツキが小さくなれば、スキルは上がる)
ランドール・マンローさんの『Thing Explainer』は1000語で複雑なものやしくみを平易に説く絵本です。どれだけシンプルに言えるか。制約はわかったつもりをほどき、理解と表現の力を高めます。説明に多くのことばが必要なのは、自分の中でまだ十分にかみくだけていないから。ここにもUnlearningのタネがあります。
Less is more.(減らせば減らすほど効果が出る)
デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの絵。静謐のじかん以外、なにもない場。とびらが静謐なのではなく、それが感じられる時だけ、心が静謐になるのです。だから、いま、見ているあなたの心が映っているのです。Less is more. Less(それ以外は何もない)を深めると、more (それしかないもの)が引き立ちます。
Less is more.
アンセル・アダムズは、アメリカの大自然をモノクロ写真で撮りました。白黒はふたつの階調しかありません。でも、そのおかげで、より印象を深く、採り出すことができます。情報量を減らすことは、情報をへらすことではありません。Less is moreです。情報を量をへらすと印象がふえ、余計なものを取り去ると感動が増えます。
You don’t take a photograph. You make it.(写真は、撮るのではない、つくるのだ)
わかろうとすることは、もうあらわれている。見ようとすることも、もう見えている。「遍界不曾蔵」。目に見えない、向こうに、何かが隠されていると想像しますが、実は違うのです。見えているものの中に、まだ見えていない姿がある。聞こえている響の中に、まだ聞こえていない声がある。触れているものの間に、まだふれていないことばがある。
It’s all there.(みんなそこにある)