手にとって小さな変化が見えること
アリストテレスは、こう言いました。
We are what we repeatedly do.
(いつもくりかえしすることが、じぶんという存在。)
人生は、習慣の蓄積からできている。何かに秀でるということは、行為ではなく、習慣である、と。
「すべては、小さいことの積み重ねなんですよ。」こんなセリフをどこかで聞いたことがあるでしょう。
そして、納得したり、少し反省したり、しますよね、そうだろうな、まず習慣を身につけないといけない、と。
アリストテレスは、こう言いました。
We are what we repeatedly do.
(いつもくりかえしすることが、じぶんという存在。)
人生は、習慣の蓄積からできている。何かに秀でるということは、行為ではなく、習慣である、と。
「すべては、小さいことの積み重ねなんですよ。」こんなセリフをどこかで聞いたことがあるでしょう。
そして、納得したり、少し反省したり、しますよね、そうだろうな、まず習慣を身につけないといけない、と。
日頃、思うようにならないことや、息のつまりそうなことが、いろいろありますね。
でも、身の回りの世界を変えることはできません。
どうしたらよいのでしょう?
こんなことを言った人がいます。
You can only change your next action.
(物事がどうあれ)自分の次の行動だけは、自分で変えることができる。それだけが、できること。
「素」ということばほど、とても身近で、大事なことばは、他にあまりないかもしれません。
素とは、手を加える前の、もともとの、自然のままの、素(もと)になるものです。物事の、はじまり以前の、シンプルな、姿、形、質。
素のつくことばをあげてみましょう。
素手、素顔、素肌、素足、素心、素ぶり。
素直、素朴、素人。素性、素養、簡素、質素。素地、素材。元素、要素、素子。素敵な、素晴らしい。
「ドリル」と聞くと、何を思い浮かべますか?
電動ドリル?計算ドリル?マーチングバンドのドリル?防災・避難訓練のこともドリルと言います。
アメリカでは、トルネード(竜巻)ドリルもあります。
これらは、みな、おなじ「ドリル」です。電動ドリルは、小さな穴をあける工具ですね。
避難訓練は、火事や地震に備えて、避難する予行演習です。
共通点があります。それは、「一点集中」です。ドリルが一点に穴をあけるように、ひとつのテーマに絞り、繰り返し練習すること。
ドリルとは、一点集中の反復練習のことを言います。こんな諺があります。
雨だれ石を
③ その結果を確認するかのように、ほうびをあげること。
新春の静かな山路。トレイルを歩いていて、こんな光景に出会いました。
ひょっこりと穴から顔を出しては、草をかじり、また穴に。するとまた、穴から半身のり出して、草をムシャムシャ。脇目もふらず、何度も何度もくりかえす夢中な姿は、少しぎこちない感じで、なんとも愛らしい。すぐ目の前で見守っているうちに、こんなことばを思い出しました。
歩く前に、走ることはできない。
ダナ・サスキンドさんは、こう言います。
「歩けるようになる前に、走ることはできないように、聞こえるようになる前に、話すことはできない。乳児の言語能力獲得は、声のことばに触れる回数、その家庭環境に依存する。3歳になるまでに3000万語のことばが入力されることで脳が発達する。」
絵本『さかなは さかな (Fish is Fish) 』から。
ある森の池に、一匹のさかなが暮らしていました。同じ池で一緒に暮らしていたおたまじゃくしは、やがて、かえるになり、水中から陸にあがっていきます。かえるは、陸上の世界を見て帰ってきました。かえるはさかなに、鳥のこと、牛のこと、人間のことなど、陸上の世界について楽しそうに語ります。
さかなは想像を膨らませ、ついに、陸に上がろうと勢いよく飛び跳ねました。が、陸では息ができず、動けません。さかなは助けられて、水に戻りました。
さかなは、さかな
Life is in the giving.
隣人であるアート・テイラーさんの、日々のことばから。
「Getだらけだからね、世の中。日常の頭の中も。ホント、バランスが悪いよ。Life ということばは、こうして「生きていること」でもあるけれど、これからも「生きてゆく」って意味だよ。
Giving。あげること。捧げること。その中にね、じぶんが生きていることの証があるよ。それはね、こうして、声ことばではっきりいうからこそ。
Getということばが悪いわけじゃない。でもね、入手する、取得する、獲得する、自分のためにとってくることばかりで、いっぱいになってくるよ、getはね。
お金、地位、名誉。技能、成績、勝利。機会、友人、幸福。みんな get。
人間の体を構成する細胞は60兆個。ところが、微生物は腸内だけで100兆個。腸内はサンゴ礁のような生態系。ちょっと驚きですが、本当の話。
細胞は自分の身内、細菌は他人?それとも、「他人のほうが多いわが家」の方が自分?なんだか、不思議ですね。
この内なる生態系をマイクロバイオータと呼ぶそうです。身体全体で1000兆ぐらい微生物が住んでいるらしい。なるほど、そうだとすると、その「環境」を表すことばが必要だった、というのはわかる気がします。
アランナ・コリンさんは言います。
I’m like a tube. (じぶんは、チューブのようなもの)
「生涯、行うべきことをひとことで言うと何でしょうか?」
「論語」の中で孔子は、弟子の子貢に答えて言います。
それは「恕」(じょ)。おもいやりである。
相手の身になること。
じぶんがされたくないことは、人にもしてはいけない。
相手の身になる心、「恕」。それは、じぶんの中から表われ出る共感の心。