水の作法 [手のかたちが覚えている]

5歳の頃、私の家は「井戸水」でした。ポンプから手に水を注いで、飲む時。しぜんに、手のかたちが水のかたちになります。今でも「大切」ということばを聞くと、ふとあの状況が思い出されます。手でつくった小さな器ぶんの水が「大切」ということばの響きと結びついています。水を包む手のかたちが作法の原点。手のかたちで覚えているのです。

Your act is your self.

身をもってつくる、じぶんの鏡

エンパシームは、プラクティスの鏡。じぶん自身とのコミュニケーション体験を捉え、姿勢の鏡に映し出す「じぶん情報」です。姿勢の鏡とは、身をもって、じぶんの後ろ姿を写すこと。エンパシームは、じぶんが親身になって関わる他者によりそい、わかちあう場をつくります。人の痛みをわかる、共感の心、ありのままを受け入れる姿が写っています。

Do it with passion.(心をこめて)

人生は、実感の数

「人生は、息の回数ではなくて、息をのむような感動の回数ではかるもの。」マヤ・アンジェロウさんのこのことばは、ルソーの『エミール』にも通じます。「最も多く生きた人とは、もっとも長生きをした人ではなく、生を最も多く感じた人である。」宇宙とふれあう実感の数が多いということ。それは、ふりかえることで思いをつなぐことです。

Life is made of little moments you remember.

矢じりは、時のかけら|エンパシーム原初体験

5歳の春。小高い丘陵をのぼっていくと、そこは矢じりの宝庫でした。キラリと光る黒い石は、時のかけらでした。何千年か前にここで暮らしていた人の、時のかけら。じぶんが矢じりになっていた、夢中のかけら。それらは、もうありません。いえ、記憶のかけらになりました。なんどもふりかえることで、じぶんの、時のかけらになっていたのです。

You’re always carrying your time capsules with you.

ひとりになるから、わかる

静かにひとりで「ふりかえる」時間の力。その力で、ふだん刻々と過ぎ去る体験を、味わい、かみしめることができます。それはひとりでないとできません。ひとりになることは時にさみしいけれども、それが共感の力を引き出すに糧になります。じぶんの代わりにはだれも生きられない。でも、みんながおなじように、「ひとりのじぶん」なのです。

No one can live in my stead. But I am not alone.

じぶんに手入れをするプラクティス [あゐてにふすいま]

ものごとが続かない理由は、空気抵抗や摩擦に似ています。私たちはふだん、やればできるはずとか、続ければいいんでしょ、と思いがちですが、それだけでは、摩擦や抵抗を無視して、また補助や補給を考えないのと同じです。体を動かす時には水を補給します。何かを続けるには、摩擦や抵抗を減らし、補給をする必要があります。自然の理です。

おこないが、じぶんを決める。

私たちは、まずじぶんがあって判断や行動がある、と思っています。でも実は、その反対です。行動がじぶんです。じぶんのアクションが集まって「おこない」になる。私たちは、そのおこないで、できている。救命士のジョンさんは言います。「救命室の中のじぶんなんてね、行動あるのみ。じぶんがとる行動がじぶん。それ以外に、じぶんってだれ?」

My true belongings are my actions.

いのちのふれあう空気

フラワーアーティストのウジさんは言います。「花屋というのは店の花を捨てるんです。売れない花は、処分せざるを得ませんからね。私はそれがイヤで独立しました。今はお客さまへ直接お届けする花だけを扱う、花ブリエです。」ウジさんから頂いた牡丹に、潜り込む蜂!庭に咲いたのは大きな牡丹。いのちのふれあう空気は、いつも和らいでいる。

Be yourself.

じぶんという素材でつくる ① |素の組みあわせ

「カリフラワー」の料理のレシピからのヒントです。「ゆで方ひとつで、カリフラワーがごちそうに。塩とおいしい油があれば、素材本来の味を最大限に引き出すことがきる。」じぶんという存在もまた、固有の素材です。それを活かせるような、レシピや、調理場や、友と出逢えることを信じて、じぶんをつくるのです。

You’re self-made.(じぶんでつくるじぶん)

作法を共にする道具があるからこそ

エンパシームは、スマホとしてじゃなく、スマホの存在と、周りの空気と、あなたの小さなふるまいで生まれます。作法のためのテクノロジーです。静かにすわり、気持ちをやわらげて。自然な流れにゆだねて、心をこめて、ゆっくりふるまうだけです。エンパグラフにあなたの姿勢と声と気持ちが映ります。伴走者のような道具の手助けがあるからこそ。

No one can live in your stead.(だれの代わりにも、生きられない)