水滴のじぶん (I’m the ocean.)

ペルシャの詩人、ルーミーのことば「じぶん自身が水滴であり、大海である。海の一滴ではなく、一滴いっぱいの海である。」私たちはふだん「私の体、私の心、私の命、私の健康、私の幸福、私の人生」というふうに、何でもじぶんの「持ちもの」のように思うことに慣れすぎ、身心は自然の一部であり、大きな力を秘めていることを知らずにいます。

You are not a drop in the ocean. You are the entire ocean in a drop.(じぶんは海の一滴ではなく、一滴いっぱいの海である。

地を踏んで、空を見上げる。[Humanの意味]

鷲田清一さんはこう言います。「ヒューマン (human) という語は、フムスhumusという、地面とか腐食土を意味するラテン語からきている。人間はこの地上の被造物であるから、ヒューマニティ と呼ばれる。よく似た単語に、ヒューミリティ (humility) がある。謙虚さという意味。これもhumusを語源としている。」

We are only human. (私たちは人間にすぎない)

『プラテーロとわたし』と「私のプラテーロ」とじぶん

『プラテーロとわたし』は、100年以上、世界中で親しまれてきた作品です。ストーリーの終わりにこんな場面があります。「ボール紙のプラテーロは、ますます、お前よりもお前に見えるんだ。」プラテーロの過去のイメージがどこかに存在していて、そのコピーが脳の中に現れるのではなく、ことばに出す現場にいつも、プラテーロは生きています。

小さな修養の原理 ② (プラクティスだけが唯一の持ちもの)

気づかずにパターン化しているかどうか見分ける方法は?何かに行為を邪魔された時。ものがなくなったり、壊れた時。いつもどおりでなくなる瞬間のイライラ。ものごとは予定どおりにいかなくてはいけない、と考えるプラクティス。そんなつもりはなくても、頭の中で、そういうふうに考え、とっさにふるまうクセを身につけているわけです。

What I do is what I get.(じぶんのふるまいが、唯一の持ちもの)

アメンボで想像のプラクティス②

ふだん無意識に使っている見方のフレームワークを変えるには?こんな実験をしてみましょう。目の前に、人さし指を上向きに出し、上からのぞくようなかんじで、左向きにくるくる回しながら、指を持ち上げていき、下から見上げると?いつの間にか、右向きになりますね。見る形式に従って、対象の認識が変化したのです。相手側に立つ、共感の力。

Use your empathy.(共感のチカラを使おう)

アメンボで想像のプラクティス①

スイスイと泳ぐアメンボの気分。それを想像できるのは、人間に共感の力が備わっているから。私たちは「物事が先にあり、それがありのままに入ってきて、それを認識する」と思っていますが、実は話は逆なのです。体験と想像の働きによって、物事をみる形式を身につけているのです。「アメンボがスイスイとしている」のは、心という現象なのです。

I’m a water slider.(アメンボの気分)

1本のロウソクになれ

マイケル・ファラデーは、ロウソクの燃焼で起きていること、呼吸によって身体内で起きていることは同じであると、様々な実験で明らかにしました。異なる物質どうしが親和して化学物質をつくりだす様子の観察は、いのちあるものと、じぶんとのつながりを学ぶ道になります。目には見えないものも、共感と想像の力で触れることができます。

Be a candle.(一本のロウソクになれ)

ひと時の鏡にじぶんを写す

心の鏡ということばがあります。謙虚な心があれば、すべての物がじぶんの心を映す鏡になる、と。そうありたいものと思いつつも、ふだんは、すっかり忘れてしまいます。どんなプラクティスをしたらよいのでしょうか。「私」の人格を映すのではなく、まず、ひとつひとつの[ いま ] だけを、小さなふるまいで映す鏡がエンパシームです。

See yourself reflected in Empatheme.(エンパシームに映して、じぶんのふるまいをふりかえろう)

[いま] 瞬間の単位でプラクティス

なぜ、人生の最後になって、[いま] を生きる、というのだろう?それは「いま」の実感をかぞえられないから。実感するために使える道具がないから。これまで、[いま] を実感するための、ちょうどよい単位も、使える道具もありませんでした。ふだんの呼吸の時間で実感の数を数えられるように。それをできるようにするのがエンパシームです。

Why now?(なぜ、いま?)

落花生の都合

The way up and the way down are one and the same.(のぼり坂とくだり坂、どちらもおなじ道)

落花生は不思議な植物です。地中にカプセルをつくって実を結ぶ花。実は、土の中に、カプセルができるから、実ができるのです。カプセルができないと実にはならない。私たちは、どうも「原因→結果」と「手段→目的」という、後づけの考えに慣れすぎています。何でも人間の都合であてはめるというルールに。落花生はそんなふうに考えていません。