
「しあわせ」ということばについて、玄侑宗久さんは、このように言います。
「日本語に「しあわせ」という言葉がありますが、そこには『荘子』や禅の受け身をよしとする考え方が強く生きているように感じられます。
「しあわせ」は、奈良時代には「為合」と表記しました。「為」は「する」という動詞ですが、その主語は「天」です。天が為すことに合わせるしかない。それが「しあわせ」という言葉の由来です。この言葉はほぼ「運命」と同じ言葉でした。
「しあわせだなあ」というのは、思わぬことが起こったけれど、なんとかしあわせることができてよかった、ということ。自分の意思で事前に立てる計画とは、無縁の世界、完全に受け身の結果なのです。」
なるほど、そうなのですね。 あわせる方向、結びつける方向に、じぶんを「しむける」ということでしょう。「しむける」もまた、「天」と一緒に、「じぶん」が協働することなのですね。
英語の happyということばも、「何かが起きる」happenということばと、おなじ語源のことばです。
主語は、it とか things です。物事、つまり天とおなじことですね。
Things happen for me.
(ものごとは、じぶんのために起きる。)
Things happen with me.
(ものごとは、じぶんと共に起きる。)
「し・あわせる」こと。人間の心の様子は、文化や言葉の違いで、表面的には違って見えても、とてもよく似ています。原理はおなじなのですね。
出典:玄侑宗久『荘子・何もしないことを遊ぶ』