Become a leaf. (一枚の葉っぱになる)
無心になる姿勢を身につけるには?たとえば、一枚の葉っぱの相手に、じぶんがなることです。物事の「原因と結果」とか、「目的と手段」という部分ではなく、それらをぜんぶをひっくるめた、じぶんを包む世界に浸ること。いえ、そんな理屈は忘れて夢中になることです。じぶんもまた一枚の風景になってしまうと、必ず気づくことがあります。
無心になる姿勢を身につけるには?たとえば、一枚の葉っぱの相手に、じぶんがなることです。物事の「原因と結果」とか、「目的と手段」という部分ではなく、それらをぜんぶをひっくるめた、じぶんを包む世界に浸ること。いえ、そんな理屈は忘れて夢中になることです。じぶんもまた一枚の風景になってしまうと、必ず気づくことがあります。
パテマータ、マテマータ(痛むから、学ぶ)は学びの原点です。胸が痛む。腹が痛む。心が痛む。身体で痛みを感じることが、そのまま、学びになります。学びは、じぶんと相手がつながることです。痛みの感覚が、つながりになります。痛みがなくなれば、忘れてしまいます。だから、ひとこと、声にだして言っておきましょう。痛みを感じている時に。
Pathemata, Mathemata(パテマータ、マテマータ)
ゆるすことは容易ではありません。ゆるすとは、ゆるめること、ほどくこと。しばっていたものをゆるめること。しばられているものは?じぶんです。たとえ、原因(とじぶんで決めていること)がだれのせいであろうとも、しばられているのも、しばっているのも、じぶん以外にはいません。ゆるすプラクティスはひとつ。声に出してじぶんに言うこと。
I forgive you.(ゆるすよ)
従容録は、仏法の方便が如実に表れています。例えば、専門家ならその道の技を磨くのに、禅問答もせずにつくった米を食べているだけ、という問答があります。仙崖和尚の「これ食うて茶飲め」も似ています。ものさしを変える、習慣を変えることは容易ではありません。そのように思えるプラクティスがいります。その時、心は自由自在になります。
Keep your composure.(落ち着きを保て)
「従容録」の英語訳は「Book of Equanimity」です。Equanimityとは、平静、静穏、落ち着くこと。日常的な表現は、Stay calmとかStay composedです。composeとは、組み立てること、秩序だてることです。方便をストレートに表すことによって想像を喚起し、真実に近づく路をつくります。
Keep your composure.(落ち着きを保て)
知識の入力が目的化すると、実践がどんどん減っていきます。禅問答は従容(心の平静)をみちびくためのプラクティスです。禅問答のようだ、と言うと、なんだかよくわからないという意味に取られますが、本来はちがいます。じぶんで考えることをみちびくために「逆転の発想」のような投げかけをします。ものさしを変えるところに近づくために。
Stay composed.(落ち着きをつくれ)
従容(しょうよう)とは、どんな時でも平静を保てること。相手によりそって、従容へみちびく行為が方便(ほうべん)です。ウソも方便と言いますが、ウソは自分のために偽ること。方便は相手をガイドすること。方便は大乗仏教の基本理念でした。ブッダの教えは平静の路。本来、むずかしいことばを並べることではなく、プラクティスのみちびきです。
Empatheme guides you along.(エンパシームは寄り添って歩む)
赤裸々とは、包み隠さないことです。でも、なかなか、赤裸々にはなれません。なれないから、じぶんに対して、飾り、構え、あれこれ理屈を考えます。じぶんに対しても、どこかで「はずかしい」。そこで、セキラリティ(勇気をもって真実をに語ろうする姿勢)と言ってみると気が楽になります。心の中で、ネガティブをポジティブに転じる造語です。
Be true.(真実のじぶんのとおりに)
精神の力を表すことば。根性、辛抱、忍耐、がまん強さ、ねばり強さ、自制心、気骨。精神の強さとは何でしょうか?強さとは、じぶんに勝つのではありません。じぶんとの戦いではないのです。発想を転換しましょう。じぶんではどうにもならないことに目をむけるのではなく、じぶんでできることに目を向けるのです。じぶんの力をひきだすことです。
Practice is the power.
夢の登場人物。夢のセリフ。夢の舞台演出。だれが脚本を書いているのでしょうか?どう考えても、じぶんしか関与しているはずはないですよね。脳はひとりでシミレーションをしているようです。夢に浸りながら、その尻尾をつかむような、場面にでくわさないでしょうか?どうやら、ヒントは、まどろみにあるようです。明け方に見る夢です。
Who is directing your dream? (じぶんの夢の脚本家はだれ?)