Empathemian『疾風勁草』

疾風しっぷう勁草けいそう

強い風が吹いても、負けない。
風が吹いてはじめて、じぶんの真の姿がわかります。

精神の力を表すことばがたくさんあります。

・根性、辛抱、忍耐。
・がまん強さ。ねばり強さ。
・自制心、克己心、気骨。
・タフ、ガッツ、メンタル。

どれも「強さ」を強調することばです。
強さは、どこから湧いてくるのでしょうか。

そもそも強さとは何でしょうか?

 

疾風勁草 ① [しなやかさがプラクティスをまもる]で、「しなやかさ」だと書きました。

カチカチに力を入れるのではなく、力を抜いてやわらかく。
身心にゆとりをつくることが、しなやかさです。

打撃をまともに受けていたのでは身が持ちません。

何でも間に受けない工夫がいります。
それは、逃げることではありません。
いい加減にすることでもありません。

受け入れつつ、インパクトをさけることです。

じぶんの身に起きていることを否定したり、拒絶することでは、ゆとりはできません。
なぜならが、生きていくことは、つねに、じぶんの身に何かが起きる、ということだからです。

何が起きても、平気でいられること、平常な心を保てることが、強さです。

もちろん、努力する気持ちは貴重ですが、それを守る工夫がいるのです。

ふだん、私たちは一生懸命することで手一杯。 その工夫を忘れています。

がんばろうとするだけだと、終わりのない影響に対してがんばりきれなくなります。
それが今後は、じぶん自身との「戦い」になってしまいます。

じぶんの身に起きることを、何でもコントロールすることはできません。
小さなことだと思えることでも、積み重なる影響は、すぐにじぶんの受容量を超えてしまいます。

「がんばる」という、戦いの構図をもってしまうことに問題があります。

じぶんに勝つのではありません。

気づかないうちに抱いていた、発想を転換する必要があります。

じぶんではどうにもならないことや、できないことに目をむけるのではなく、
じぶんでできることに目を向けるのです。

それは、じぶんの力を大切にすることです。
小さな力をひきだし、それをかけあわせるようにして、大きくするのです。
どんなに小さなことでも、毎日続けば、驚くほど大きな力になります。

冒頭の、精神力を表すことば。
どれも大切なことばだと感じられます。

が、そのような力は、決して突然でてくるわけでありません。
プラクティスがいります。

それは「精神力をつけるためのプラクティス」というよりも、
日々のプラクティス(実践)そのものが、精神の力です。

Practice is the power.

ふだんのプラクティスの中にこそ。

では一体、そのプラクティスとは?

疾風勁草 ③ (しなやかになるプラクティスとは?)へつづく

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出典・参照:『毎プラガイド』『英プラ フィードバック』