Less is more (16) つみへらせ!(減らす行いを積み上げる)

新しいことをしようと思っても、自意識に囚われたり、知識が邪魔をすると行動できません。どうしたらよいか?「つみへらす」ことです。取り込むのではなく、へらす行為を積み重ねること。①へらす、すてる ②やめる、とめる ③けずる、みがく ④ゆるめる、やわらげる ⑤あげる、わかちあう、など。身体から離すような引き算のアウトプット。

Unlearn yourself.

共感のふるまい①「恕」(孔子のことば)

論語は、倫理道徳を教える儒教の経典と言われますが、実は、人びとが共に、よりよく生きるためにどうしたらよいかを、孔子が弟子たちにやさしく説いた、具体的な行動の指針です。孔子は、知識以前に、恕(じょ)が最も大切である、と説きます。それは、相手の身になること、共感の心です。そして、じぶん自身をも思いやる心だと言うのです。

Empathy matters most.

「人生の目的は幸福」ではない

人生の目的は幸福ではない。ラルフ・エマーソンは言います。「人の役に立ち、活かされること。人の敬愛に値し、すべての物事に、思いやり、慈しみ、共感の心をもてること。生きたという実感をもてることである。」幸福が人生の目的だと漠然と思い込んでいると、肝心な「行動」を忘れてしまい、「幸福の道」ができにくくなるのかもしれません。

Sense your way. (歩む実感を)

じぶんを生きている (人生を暮らしているのではなく)

蓮の花とおなじように、じぶんという存在もまた、不思議です。私という人間が、世界のあるところに生きていて、世界を眺めたり、物事を考えているようで、実は、自然に委ねられています。「私が生きている」のではない。「じぶん」を生きている。「じぶん」はすでに、宇宙に委ねられている。じぶんという土の上を、導かれて歩いているのです。

You live your “Self.”(じぶんを生きている)

Let it go. [行きづまったら、そっと手放すために]

禅のことばに放下著(ほうげじゃく)ということばがあります。 Let it go. (行きづまったら手放せ)という意味です。ことばのおかげでわかる一方で、今度はことばに囚われることにもなります。何かにこだわっているじぶん自身に気づく扉を開くことば。 Let it go.は、3歳のこどもにも語りかける、やさしいことばです。

Let it go.

明るいところにカギはない(教えて依存症ですよ!)

こんなジョークがあります。「カギを失くした?ええ、落としたのはあっち。でもこっちの方が明るいから。」この話を笑えない現実があなたの身にも起きているかもしれません。例えば、次のセリフに心あたりはありませんか?〇〇するにはどうしたらいいですか?〇〇を教えてくれるいい教材ありませんか?〇〇を教えてくれるいい先生いませんか?

Lost your keys? Yeah, I lost them over there but this is where the light is. (カギを失くした?ええ、落としたのはあっちなんですが、こっちの方が明るいんで)

チャンスとバランス (3)

「チャンス」に関わるじぶんの姿勢によって、未知の可能性を見捨ててしまうことにもなります。じぶんが損することばかりを怖れたり、じぶんが得することばかりを期待すると、その分、バイアスがかかります。力を抜いて、平静に、チャンスにむきあうには、やってみることです。あたらしいことが起きると状況は変化するからです。

Take a chance.(やってみよう)

チャンスとバランス (2)

バランスをかくとは?何がかたよるのでしょうか?それは「チャンス」です。まだわからない、未知のことに対する姿勢。その姿勢が、バランスを欠いてしまうのです。人間の合理思考は限定的で、損失することにとても敏感になるバイアスが知られています。じぶんが得することを前提にするために、未知のことに対しての姿勢がかたよるのです。

How do I get neutral? (ニュートラルになるには?)

チャンスとバランス (1)

「修養」は姿勢を正すプラクティス。姿勢を正すとはバランスを保つこと。バランスとは、天秤にかけ、かたよりを減らしたり、なくしたりすること。その時、比べるものがない、考えがひとつしかない、のでは、バランスのとりようがありません。行き過ぎ、やりすぎ、過剰だと感じた時には「反対のこと」を思い出し、それを声にして言ってみるのです。

How am I doing?(バランスとれているかな?)

じぶんで選べる自由がある

じぶんの身に何かが降りかかった時。どんなことばでじぶんに語るか。マルクス・アウレリウスの「私にはそのように考えない自由がある」は、じぶんの身に起きていることは、世間や常識がどう言うかではなく、じぶんで捉えるというアクションに変えることばです。ひと息で声に出して、みずからに語りかけるアクションこそ、じぶんをはげます力。

Well, things happen for me.(きっと、じぶんのために起きるんだ)