目的は、ねがいの中にある
生きる目的は何か?このような質問されると、どこかに答えがあり、それを求めて探すべきことのような気になります。ところが、カントは明快にこう言います。「人間は何のために存在するのかという問いは、そもそも無意味である。じぶん自身の中にいちばん大切な目的がある。存在しない設問を立てて迷ってはいけない。目的はねがいの中にある。」
The purpose of life is a life of purpose.(人生の目的は、ねがいを育てて生きること)
生きる目的は何か?このような質問されると、どこかに答えがあり、それを求めて探すべきことのような気になります。ところが、カントは明快にこう言います。「人間は何のために存在するのかという問いは、そもそも無意味である。じぶん自身の中にいちばん大切な目的がある。存在しない設問を立てて迷ってはいけない。目的はねがいの中にある。」
The purpose of life is a life of purpose.(人生の目的は、ねがいを育てて生きること)
モーリス・センダックの『Where the Wild things are』は、愛嬌のあるモンスターに出会って不思議な体験をする話です。Wild thingsとは、遭遇したことのない、未知のこと。未知に出会うとは、何も秘境や宇宙の彼方、目に見えない世界の探究でなくて、いちばん身近かな、じぶんの心にあります。
Things happen.
見ているうちに、もう、雪中に飛翔する虎になっています。「86歳になって、ますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極めた。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神よ、私のことばがいつわりでないことを、ご覧ください。」葛飾北斎、絶筆の作品『雪中虎図』。88歳で描いた、じぶんの姿です。
I’m flying.(飛んでいる!)
空間の間も、時間の間も、じぶんと相手とのふれあいから生まれます。間の根源は、共感的な想像が湧き起こる場、その瞬間。息と声と姿勢で形になります。ただし、急にはつくれません。間には、必ず、ひとつふたつと数えられる、順番のある流れが必要です。エンパシームはその流れをつくってカプセルにおさめ、人と人とのほどよい間をつくります。
You have the power.(その力がある)
間が大切だ、とよく聞きます。間[ま]とは何か? ほどよい距離を保つこと、適切な間隔をつくることです。そのためには、ふだんのプラクティスがいります。その感覚(センス)が身につかないと、急にはできません。空間にせよ、時間にせよ、ほどよい間隔には、そのためのアクションがいります。じぶんの行為によって、[ま]をつくるのです。
Keep clear.(
パテマータ、マテマータ(痛むから、学ぶ)は学びの原点です。胸が痛む。腹が痛む。心が痛む。身体で痛みを感じることが、そのまま、学びになります。学びは、じぶんと相手がつながることです。痛みの感覚が、つながりになります。痛みがなくなれば、忘れてしまいます。だから、ひとこと、声にだして言っておきましょう。痛みを感じている時に。
Pathemata, Mathemata(パテマータ、マテマータ)
ギリシャの格言「タ・パテマータ、マテマータ」は「人は痛みによって学ぶ」という意味です。パテマータは、身に受ける痛みの体験。パトス、パッションと同じ語源で、受け身の心。マテマータは学ぶこと。「数学」と翻訳されたマテマティクス の語源と同じで、想像、推論の働き。物事をじぶんと結びつける力の原点は、他者の痛みに共感すること。
Guide your learning through pain.(痛みこそ、学びのガイド)
ふれあうことは、そのものになること。相手の身になること。ほんの、ひと息のじかんのできごと。それを「共感の時つぶ」とよぼう。想像してごらん。つぶのように小さくて丸いじかんを。ひとつひとつが寄り添い、呼び合って、つながるから。しらないうちに、ひらめくがじぶんができる。私たちの「じぶん」は、共感の時つぶでできている。
I am you.
ユキさんのエピソード。「長年愛用していたハンドミキサーが故障してわかったことがたくさんあります。料理の味、道具の原理、手入れの大切さ。いえ、色々なことにはじめて気づいた、じぶん自身の心に気づきます。動くのを止めたハンドミキサーが私に語りかけるようです。」機械も人間と変わりません。私たちは共に、自然の現象を生きています。
We are with you.(心を共に)
排水管の詰まりを解決するエピソードに、プラクティスのヒントがあります。 ボトルネックは原因ではなく、日々少しずつ排出物が堆積する結果であり、ものごとが持続する時の経過地点です。 何かが滞った時は、静かに耳を澄まして音を聞くこと。手に触れて感触を確かめることです。音や感触をイメージに変えると、見えないものが見えてきます。
Just listen. (耳を澄まして)