ゆるす|声にして、手放す
ゆるすことは容易ではありません。ゆるすとは、ゆるめること、ほどくこと。しばっていたものをゆるめること。しばられているものは?じぶんです。たとえ、原因(とじぶんで決めていること)がだれのせいであろうとも、しばられているのも、しばっているのも、じぶん以外にはいません。ゆるすプラクティスはひとつ。声に出してじぶんに言うこと。
I forgive you.(ゆるすよ)
ゆるすことは容易ではありません。ゆるすとは、ゆるめること、ほどくこと。しばっていたものをゆるめること。しばられているものは?じぶんです。たとえ、原因(とじぶんで決めていること)がだれのせいであろうとも、しばられているのも、しばっているのも、じぶん以外にはいません。ゆるすプラクティスはひとつ。声に出してじぶんに言うこと。
I forgive you.(ゆるすよ)
課題とする徳目を選び、毎晩それに反する行為がなかったかをふりかえり、できなかったことを印にして数えるのがフランクリンの修養法。まず、具体的な行為をかみ砕いてふりかえることからです。エンパシームは、静穏のひと時をつくり、じぶんのことばを声に残します。そのじぶんを後からふりかえれます。フランクリンの修養ツールになります。
Count your actions.(じぶんのふるまいを数えよ)
じぶんをふりかえることなしに、習慣を身につけられません。でも、アクティビティトラッキング(行動の記録を達成率で評価する)だけでは、じぶんの姿、じぶんの変化(ねがい)の方向を確かめることにはならないのです。ふだんのじぶんがそこに映るようにして、それを写して後から確かめること。結果よりも、プロセスをふりかえることです。
無心になる姿勢を身につけるには?たとえば、一枚の葉っぱの相手に、じぶんがなることです。物事の「原因と結果」とか、「目的と手段」という部分ではなく、それらをぜんぶをひっくるめた、じぶんを包む世界に浸ること。いえ、そんな理屈は忘れて夢中になることです。じぶんもまた一枚の風景になってしまうと、必ず気づくことがあります。
「皿の上の果物を足すと、全部で何個ですか?」考えてみると不思議です。なぜ、ちがうものを足すことができるのか?私たちは、視覚、触覚、味覚で、違いを知っています。その一方で、そういう小さいことは、いったん忘れて、つぶのような「もの」として、抽象化する能力も備わっています。「小さいことは忘れて」答えよ、と言っているわけです。
Count anything.(なんでも数えてみよ)
千里の道も一歩からということわざがあります。でも、一歩を踏み出しても続くだろうか?こんなふうにも歩くこともできます。「一歩の中に千里あり。千里の中に一歩あり。千里を歩いて一歩になる。一歩の中に千里の喜び。切り拓く道。未知と出会う道。道を進むと千が一に、道を登ると一が千になる。道は長くつづく道。道はいつも心によりそう友。
One thousand clouds make one sky.(千の雲がひとつの空をつくる)
道元禅師の『正法眼蔵』に、「前後際断」ということばがあります。起きている時と寝ている時では、時間と存在のあり方がちがう。冬が春になるのではなく、春が夏になるのでもない。冬には冬のあり方、春には春のあり方がある。生もその時のあり方である。死もその時のあり方である。その時は、その時としてある。今という時を生きているのです。
Death is within life. (死は生の内側にある)
The heart is counting up, not down, until the final beat.(鼓動は、カウントダウンではない。いのちがたたまれるその時まで、数えあげている)
まなざしがことば。手の温もりがことば。指に入れる力がことば。うなづきの間がことば。耳を澄ます静けさがことば。声をしぼり出す息がことば。口を動かす気配がことば。ことばが届いたとわかる仕草がことば。半身が動かないことでも、声が出せないことでもない。いま向きあっているのは、持てる力を使い尽くし、今の生き方で生きている母の姿。
Life enfolds.(いのちは、内側へたたまれる)
データの語源、ギリシャ語で、与えられたもの、という意味です。身のまわりの世界からじぶんに与えられたもの。五感でふれあい、わかちあえるもの、ひとつふたつと数えられるものは、データです。エンパシームは、じぶんのリトルデータ。ひと息の身体行為を写したデータです。その中に、呼吸のリズム、和らいだ姿勢、声のことばが入っています。
Hello, Empatheme. My dear little data.
人生の目的は幸福ではない。ラルフ・エマーソンは言います。「人の役に立ち、活かされること。人の敬愛に値し、すべての物事に、思いやり、慈しみ、共感の心をもてること。生きたという実感をもてることである。」幸福が人生の目的だと漠然と思い込んでいると、肝心な「行動」を忘れてしまい、「幸福の道」ができにくくなるのかもしれません。
Sense your way. (歩む実感を)