ことば『シード』論|声のタネをまいて育てる
エマーソンのことば「思いのタネをまく」。思いのタネをまけば、それが行動になり、習慣になり、心の路になっていきます。でも何もしないと「いいことばだなぁ」のままになってしまいます。どうしたら本当に「思いのタネ」をまけるのでしょうか?それは、一体、何をすることなのでしょうか?。静穏の中に思いのことばを声に出すことです。
エマーソンのことば「思いのタネをまく」。思いのタネをまけば、それが行動になり、習慣になり、心の路になっていきます。でも何もしないと「いいことばだなぁ」のままになってしまいます。どうしたら本当に「思いのタネ」をまけるのでしょうか?それは、一体、何をすることなのでしょうか?。静穏の中に思いのことばを声に出すことです。
スキンケア、ヘルスケア、デイケアなど、ケアということばは日本語にも定着しています。世話をする、面倒をみる、という意味あいで使われますが、Careは本来、痛みや悲しみを共にするということばでした。ケアはものの名前ではなく「おもいやる」という心の働きを表すことばです。伝わるのは、知識や情報ではなく、おもいやる気持ちです。
No one cares how much you know until they know how much you care.
熊谷守一さんは言います。「ひとにはわからないことを、独りでみつけて遊ぶのが、私の楽しみ。」はじめから決まった「答え」を探すのではなくて、なにかおもしろいものに出あえることが楽しい。生きていることも、おなじです。ただ、それをふりかえって実感できる場がいりますね。エンパシームひとつぶんのじかんと場をつくってみてください。
Act as if you are.(そのつもりになってやってみる)
寿命の方程式:寿命は体重に正比例し、同時にエネルギー消費に反比例する。エネルギーの浪費は寿命の縮めます。休む時間。静かにする時間が、寿命を支える一部。イーグルスのドン・ヘンリーさんは歌います。「走り続けるだけじゃいけない。「Learn to be still. 静かに、じっとすることを学ぶこと。静穏を身につけること。」
Learn to be still.(じっとする、を学べ)
じぶんひとりが頑張っているのではない。じぶんと共にあるものがある。それは、エンパシーです。「相手」を感じること、ふれあっていること。共感の相手は人間に限りません。光も水も風も、じぶんの相手になり、共にある時があります。私たちはつねに、いろいろな物事に支えられている。そのことを思い出す時、じぶんの存在に気づくのです。
When you unlearn yourself.
学習とは、中に取り込むことで、出すことは別のことだと思っていませんか。実はそうではないのです。声に出してことばを出力し、じぶんで聞くこと。それを書いて刻むこと。それを繰り返すことが「入力」になるのです。出力を写すことこそが、まなびです。「エンパシーム」は、じぶんの声ことばを、音声のまま写し、書きことばにも写します。
Learning is to reflect on what you output.(学びとはじぶんで出力してふりかえること)
ひと息の、声のリズム。それが、力を備えたことばです。意味を覚えようとしないで、声のリズムを刻むことで、ふだんは忘れていることが、思い出される。シンプルな動作と声のリズムが一体になっているから、あとになってから、記憶を復元するすごい力になるのですね。じぶんにも、声をかけてみよう。
Voice it out. (声に出してみよう)
Stillness is the way. (静穏が道をひらく)
静穏の効用とは、よく聞こえること。聴覚は、視覚と違って、オフにできません。聴覚は身を守る大切な機能。でもそのおかげで、いらないものも入ってきます。だからこそ、静穏は、じぶんでつくるもの。静かな場所で、ひとりすわり、身体の力を抜くことです。エンパシームは、「静穏の鏡」になります。本当に、鏡のように、映しだす働きをします。
エトルリアの港町のタルクィニア。D.H.ローレンスは『エトルリアの遺跡』でモンテロッツィの墳墓壁画『狩と漁の墓』の情景に入り込み、生命の躍動を細やかに描写しています。心を寄せている対象が大きく、色鮮かに際立って描かれます。現実にはこのような光景はありません。が、生きている人の真実が描かれているから躍動感が生まれます。
Less is more.(現実を減らせば、真実が増える)
イタリア・トスカーナ地方はローマ帝国以前、600年に栄えたエトルリアでした。多くの文化遺産を残しましたが、その存在は忘れられています。文字で記された歴史が未解読だからです。が、近年のDNA比較分析でトルコの地中海沿岸都市から集団移動があったことが明らかにされました。トルコ人のデミルさんがこんな話をしてくれました。
We are connected in time.(じかんを超えてつながっている)