Empathemian, 『John practices cultivating calmness』

救命士のジョン・マーシャルさんのSeedから。

Our deeds determine us, as much as we determine our deeds.

じぶんが行動を決定するように、行動も私たちを決定している。

ジョンさんは、こう言います。

「ジョージ・エリオットのことば。あ、ジョージっていうけど、ペンネーム。
本当は、メリーアン、女性の詩人。知ってた?
このことば、本当にそうだな、って実感する時があるよ。」

「ふだん、ぼくらは、まずじぶんがあって、判断や行動があるみたいに思っているよね。
でも、実は、その反対なんだなって。行動がじぶんなんだよね。
じぶんのアクションがあつまって「おこない」になる。ぼくらは、そのおこないで、できている。
それ以外に、じぶんってだれ?

「ぼくは、救命の仕事をしているので、身につまされることがあるんだ。
救命室の中の自分なんてね、行動あるのみ。じぶんがとる行動が、すなわち、じぶん。」

「そんな毎日からもどって、ひとときの穏やかさを取り戻すときに、ゆっくりと息をはいて、大切なことばを言ってみる。
そのひとつがこのSeed。なぜか、忘れているからね。静かな時に、時々言っておくんだ。
救急チームの若い人たちにも、すすめているよ。」

ブッダのことばにもあります。

My true belongings are my actions.

じぶんのふるまいだけが、じぶんの唯一の持ちもの。

Who am I without action?

そのことを、声にしてたしかめるのに、ひと息の、小さなじかんしかいりません。
エンパシームひとつ、です。

「変えられるのは、じぶんのいま。」

「ふるまいで変われるじぶん」

「疾風勁草 ①[しなやかさがプラクティスをまもる]」

出典・参照:A. conversation with John M、George Elliot Review Online

ジョージ・エリオット