ことば『インナースピーチ』論

ことばは人とのコミュニケーションだけではなく、思考の要です。声に出さなくても心の中で会話を思い出し、ことばを覚え、書いたり、考えながら話す時に、内なることば「インナースピーチ」(内語)を使っています。無意識的に発せられることばを含め、心の中で短いセリフを発しています。生涯を通して、1億回もの膨大な数の、心の出来事です。

ことば『シード』論(声のタネをまいて育てる)

エマーソンのことば「思いのタネをまく」。思いのタネをまけば、それが行動になり、習慣になり、心の路になっていきます。でも何もしないと「いいことばだなぁ」のままになってしまいます。どうしたら本当に「思いのタネ」をまけるのでしょうか?それは、一体、何をすることなのでしょうか?。静穏の中に思いのことばを声に出すことです。

プラクティス『共感』論

じぶんひとりが頑張っているのではない。じぶんと共にあるものがある。それは、エンパシーです。「相手」を感じること、ふれあっていること。共感の相手は人間に限りません。光も水も風も、じぶんの相手になり、共にある時があります。私たちはつねに、いろいろな物事に支えられている。そのことを思い出す時、じぶんの存在に気づくのです。

プラクティス『しくみ』論

はじめて乗れた日のことを覚えていますか?はじめはうまくいきませんが、思い切ってやっているうちにその日がやってきます。じぶんもシステムの一部となり、自転車と一体化するからです。「車輪を縦にふたつ並べ、人間の力を大きな推進力と操縦性に変えるしくみ。その歴史にも触れつつ、プラクティスの理想モデルとしての自転車を考えてみます。

ことばの原理

言語の習得とは「処理を身につける」ことです。処理したものだけが、身につけられます。処理していないことを学ぶことはできません。プラクティスしないことは身につきません。プラクティスとは、身体全体が処理するプロセスです。そのプロセスを担う働きがワーキングメモリ。ワーキングメモリを鍛える方法は、2秒のセリフのアウトプットです。

自然を活かす [テクノロジーの本質]

テクノロジーとは何か?ブライアン・アーサーさんはこのように定義します。(1)テクノロジーはすべて要素の組み合わせである(2)要素それ自体がテクノロジーである(3)何かの目的において自然現象を利用している。人間もまた、自然の一部です。人間は、道具を使うだけでなく「ふるまい」でできています。じぶんという自然を活かすために。

A technology is a phenomenon captured and put to use.(テクノロジーとは捉えて利用できるようなった自然現象)

声は「ことばの姿」

Just say hi to yourself. (ひとこと、じぶんにあいさつするだけで)

修養のエッセンスは、静かにすわり、大切に思うことばを声にして、それをじぶんで聞き、くりかえしふりかえること。なぜ、声にして出して、それを聞き入れるのか?それは、その時その時の声こそが、じぶんのことばの姿だからです。小林秀雄のエッセイ「言葉」は、本居宣長の「姿は似せがたく、意は似せやすし」という言葉を引用します。

「生きている」ことより大事なことはない。

「いのちがあるから、生きている」と思っていますよね。実は、いのちがあるから生きているのではなくて、生きているから、そのことを「いのち」と呼ぶのです。生きるとは、じぶんも含めた、周囲の環境全体のこと。いのちは、生きているじぶん。ふれあいをつくる、じかんをつくる。そうやってcreativeであることで、いのちになるのです!

Life is a Verb.(生きるとは、ひとつの動詞)

「ぼんやり」は「気づき」のカギ

「ぼんやり」には大切な働きがあります。ぼんやりと一見休んでいると思われる時にも、脳は活発に活動している。ぼんやりの中でひらめきが生まれます。気づきや創造性のカギ。ものであれ、植物であれ、相手とふれあって、心の働きを育むことです。ふだんは気づいていない、自然のいのちとふれあい、共感の心が引き出されるきっかけなのです。

We all resonate with each other. (わたしたちはみな響きあっている)

地球に共感する

ライアル・ワトソンさんは言います。「科学者としての私は「太陽があるから光が見える」という。しかし、私の新しい理解では「私が見ているから太陽は光である」といってもおなじように真実であることを示唆する。われわれは地球の目であり、耳であり、われわれの考えることは地球的思考だ。」私たちは、「じぶんと空気のあいだ」に生きています。

Interaction is the soul.(ふれあいが魂)