声は、海を渡る|『母をたずねて三千里』と、アルゼンチンへ渡ったイタリア人

『母をたずねて三千里』は、アミーチスの小説『クオーレ』に収められた「五月のお話」です。少年マルコの旅の背景には近代国家になったばかりのイタリアの貧しさと移民の歴史がありました。それは明治の日本とも重なります。家族を助けるために母が海を渡る。残された子どもが手紙を待つ。便りが途絶える。そして少年が母をたずねて海を越える。

Voices cross the ocean.(声は海を渡る)

Expressionist painting of a figure on a bridge with an agonized face, swirling orange sky and dark fjord in the background.

叫んでいるのはだれ?|ムンク『叫び』の誤解の誤解

ムンクの『叫び』。実はこの人は叫んでいるのではない、世界の叫びを聞いているのだ、という解説がされます。でも、その説明もまた、まだ途中なのかもしれません。自然の叫びが、その人の身体に宿る。その人の身体を通って、私たちにも聞こえてくる。ムンクが描いたのは、叫びの主ではなく、叫びに貫かれ、叫びになってしまう人間です。

You become it.(じぶんがそれになる)

見えない方程式②|右側も左側もじぶんでつくる

よく広告やマーケティングでつかわるフレーズ。勝利の方程式。成功の方程式。幸福の方程式。そういうものがあると飛びついて、教えてもらいたい。と、一瞬も思うかもしれません。でも、違和感が残ります。なぜでしょうか?それは、右側が「他人の結果」だからです。同時に、左側は自分がまだ体験していない、トライしていないことだからです。

You’re the equation.(じぶんが方程式)

見えない方程式①|未知の〈見える化〉

方程式の「方程」とは何でしょうか?昔、中国には、方程師という職人がいました。はかりで、測る人のことです。右と左を見くらべる。 つりあいが取れた時、両者は同じだとわかります。一見ちがう「もの」を、同じ「こと」として結びつける。方程式とは、見えないつりあいを、見える形にしたものです。ふだん私たちは、左側だけを見ています。

Equations visualize the unknown. (方程式とは、未知の見える化)

Two men sitting on a couch in a colorful painting, one holding a vintage beige computer with a CRT monitor.

未来のハイパーカード|ビルアトキンソンとの対話

1980年当時、コンピュータ?まだ、何をするものなのか、よくわかっていませんでした。ただ、人間の想像力を広げる相棒となるという未来の予感がありました。ビル・アトキンソンさんは、コンピュータの中の情報を、人が見て、指し、描き、選び、つなげられるものにした人です。中でも、ハイパーカード(HyperCard)は特別でした。

The future is in your hand.(未来は、手のひらにある)

見えない光のおしゃべり|世界の〈見える化〉

真っ暗闇では、何も見えません。光のおかげで、世界が見えます。でも、話はもう少し複雑です。実は、光そのものは透明です。私たちの目に、光そのものが見えているわけではありません。光のおかげで見えるのに、光は見えない。この不思議に、とてもおもしろい見方を与えてくれた人がいます。物理学者のリチャード・ファインマンです。

The unseen makes the world visible.(見えないものが、世界を見えるようにしている)

鏡にうつるじぶん (3) [思い込んでいた右と左]

私たちの生活で、とても身近かな右と左。意外な思い込みがあります。たとえば、心臓。ドキドキするのは左胸。でも、心臓は身体の左側でなく真ん中にあります。心臓が血液を送り出す時、左側から出ていきます。肺からいったん心臓に戻り、今度は身体中に送り出される。心臓は、ポンプの働きをする、すごい筋肉。身体感覚で身につけているのです。

Focus on what’s left.(身体に残る感覚に心を寄せて)

アメンボの気分になる|世界の受けとめ方(カント)

スイスイと泳ぐアメンボの気分。それを想像できるのは、人間に共感の力が備わっているから。私たちは「物事が先にあり、それがありのままに入ってきて、それを認識する」と思っていますが、実は話は逆なのです。体験と想像の働きによって、物事をみる形式を身につけているのです。「アメンボがスイスイとしている」のは、心という現象なのです。

I’m a water slider.(アメンボの気分)

ふたつの「生きる」様式|HALとグスコーブドリから考える

テクノロジーは人間の創造物であり、人間は自然の産物である。スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968年)と、宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』(1932年)を通して、人間、自然、AIの関係を問い直す時、現れてくるもの。それは、人が「生きる」ことの意味です。実は、生きる様式は、ふたつあります。

You don’t die for others. You live for them, and with them.(人のために死ぬのではない。生きるのだ。心の中に)

Try it The Other Way Around ② さかさまにしてみる

地図をさかさまにしてみると新鮮な驚きがあります。「さかさまにしてみる」ことは、身についた習慣に気づくきっかけになります。「こうしたら、どうなる」という答えがすぐに得られると、気づかぬうちに考えていることも、ひとつの強力なフレーム(捉え方の枠組み、習慣)です。さかさまを試すことで、じぶんに気づく可能性がぐんと増えます。

You can always try it the other around.(いつだって、さかさまにしてみることができるよ)