身につくとは、覚える必要がなくなること

身につくとは、考えずに身体が動くことです。身体化。自動化。無意識化。身につけるとは、毎日くりかえすこと。それを、たしかめること。あとで、ふりかえること。身につけるとは、途切れのない、そのプロセスです。身につけるとは、途切れのない、そのプロセスです。身体に染み込めば、もう覚える必要がありません。覚えようとしないことです。

To learn something is to no longer need to remember it anymore.(何かを身につけるとは、それを覚える必要がなくなること)

Helping (相手の役に立つために)

エドガー・シェイン博士の著作『Helping』の冒頭。「役に立つ支援と役に立たない支援がある。何がちがうのか?物事の内容よりもプロセスに、または何がなされるかではなく、どのようになされるかに注目したほうが、うまくいくのはなぜか?」私たちは、人は助けるつもりでも、相手の側に立つことを忘れて、役に立たない支援をしがちです。

Be helpful to others’ practicing.(相手のプラクティスに役立つこと)

禅と言語習得 ③ 以心伝心(心があってことばが身につけられる)

以心伝心は、不立文字と対になることばです。私たちは、ことばがあり、それを使ってコミュニケーションができると考えていますが、実はそうではありません。話は逆。英語のプラクティスをするとわかります。文字でことばを知っているだけでは、コミュニケーションはできません。音でコミュニケーションするからことばを使えるようになるのです。

Connect your heart.(以心伝心)

人間とコンピュータの共生と協働(リックライダー博士との対話)

いまから60年も前に、人間とコンピュータの共生を構想した人、ジョセフ・リックライダーさんとの仮想対話です。共生ということばはあるけれど、テクノロジーの進歩に人間の思想が追いついていません。人間の社会が乗り越えていくべき課題があります。でもAI化が進めば、じぶんが生きる以外はないことはより明らかになるでしょう。

Imagination takes you anywhere.(想像はどこでもドア)

禅と言語習得 ① 只管打坐「なりきる真意」

坐禅は、静穏に坐り、なりきる姿勢をつくります。大和和尚は言います。「仏の行いをしている時、人は仏になっている。仏になるために修行するのではありません。プラクティスしている時だけが、仏。英語トレイルも、禅の「なりきる」に倣います。手本のセリフの全体感をまねます。まねて、なりきって、似せられたかを比べて確かめるフローです。

Act of Becoming.(なりきる)

明るいところにカギはない(教えて依存症ですよ!)

こんなジョークがあります。「カギを失くした?ええ、落としたのはあっち。でもこっちの方が明るいから。」この話を笑えない現実があなたの身にも起きているかもしれません。例えば、次のセリフに心あたりはありませんか?〇〇するにはどうしたらいいですか?〇〇を教えてくれるいい教材ありませんか?〇〇を教えてくれるいい先生いませんか?

Lost your keys? Yeah, I lost them over there but this is where the light is. (カギを失くした?ええ、落としたのはあっちなんですが、こっちの方が明るいんで)

フリカエリビリティ(プラクティスの要諦)

やりっぱなしでも、いっぺんにやっても、身につきません。時間をおいてふりかえってはじめてプラクティスになります。じぶんをふりかえるとは、思い出すこと、継続すること、自覚すること、寄り添うこと。大切なことは、ふりかえるカタチ(フォーム)をつくり、そうなるようにしむけることです。でないと、ふりかえらないままになります。

Reflect on yourself.(じぶんをふりかえる)

Give Thanks

Thanksgivingとは、Give thanks. ありがとうと声にすること。Thanksはもらうものではなくあげるもの。 声にだして確かめ、贈ることば。みんなが声でわかちあうこと。感謝は、人にだけではありません。いまこうして字を書いてくれる指、ペン、ノートにも。ありがとうと、空気を響かせて伝えてくれる声にも。

I am grateful for what I am and have.

耳と目の結婚(2)(言語の出生地)

耳は聞く役割、目は見る役割。それぞれ別系統で情報を入力しています。大脳皮質の中で、目から来た情報の波と耳から来た情報の波がぶつかるところに発生するのが言語です。別々の情報経路を共通にできるのが人間の脳。そのようにしてことばは生まれ、人間は進化しました。耳と目の結婚によって、ことばは五感と結ばれ、全身と一体化しています。

Ears and Eyes got together and created language.(耳と目が結婚してことばが生まれた)

「答えを教えてもらうことに依存しているじぶん」に気づいていない?

ネット・スマホ・AIに代表される現代社会は、多ければ多いほどよい(More is more)に駆り立てられています。だから、少なければ少ないほどよい(Less is more)を求めたくなります。ところが、なかなかそうはいきません。なぜなら「答えを教えてもらう」ことに依存しているじぶん自身に気づいていないからです。

Less is more.(自己流のクセを減らさないと身につかない)