Empathemian 『Agrigento, Sicily, Italy』

The Child is father of the Man.(子は人の父なり)

「三つ子の魂百まで」ということばがあります。
小さい時に身につけた心は生涯続くもの。

私たちはみな、「こどもの心」からやってきました。
驚きと憧れに満ちた心はいくつになっても変わりません。

でも、大人になると、私たちはその心を忘れてしまいがちです。
なぜでしょう?

ウィリアム・ワズワースに詩「わが心はおどる」から。

My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

私の心は踊る
空の虹を見る時
こどもの頃もそうだった
おとなになってからもそうだ
老いてからもそうでありたい
そうでなければ死んでもよい
こどもはおとなの父なり
これからの日々がみな
自然を畏敬する心で
いつも結ばれていますように

Empathemian:『My Heart Leaps by William Wordsworth』

Less is more.(あたりまえを減らせば、踊る心が増える)

夕焼けを見ても、星空を見ても、虹を見ても、驚かない?
「あたりまえ」になってしまっているから。

大人の心を減らせば、こどもの心が増えます。
どうやって?

そもそも、大人とこどもは対立するものではありません。
こどもの心を持ちつづけるには?

ことばにしてねがうことです。
何もせずに「三つ子の魂百まで」ということはありません。

いつも、くりかえし、ふりかえり、じぶんと結びつける心が生涯続くのです。

出典・参照:William Wordsworth『My Heart Leaps Up』、以下のエンパレットなど

気づいていなくても、人はいつもポエジーを生きている。

詩はじぶんを知るきっかけ

「念ずれば花ひらく」(忘れられている真実)

見えない星が見える時

記憶はどこにある?(身のまわりの空間と時間の中に)

ウィリアム・ワーズワース