相手と共に紡ぎ出すことば (身のまわりの時間と空間のアフォーダンスによって)

ジェームズ・ギブソンは、知識は頭の中ではなく、環境自体の中に存在していると考えました。レモンのすっぱさも、木々の葉のざわめきも、人間が感じ取るからこそ、すっぱさとか、ざわめくといった性質が現れてくるのです。相互作用によって外界が方向づけする性質をアフォーダンスと呼びます。エンパシームにはこんなアフォーダンスがあります。

あさがお [ひとりだけで咲いていない]

シルク衣装のような朝顔の美しい花びら。じぶんの時計でひらいて閉じて。折りたたむと言いますが、萎んだり縮んだり、壊れないようにやさしく曲げる工夫があります。光、水、虫、空気。周りと共に生きています。ひとりで咲いているけれど、ひとりだけで咲いているのではない。こうして私たちも日々、その驚きや喜びを伝えあえるのですから。

It’s wondrous.(すごいふしぎ)

円と三角とカタツムリ [声をカタチに変換するフィルター]

声でことばを生み出し、それを聞き取るしくみ。耳の奥にある「蝸牛」という器官は入ってきた音波を分解して脳に信号を送るフィルターです。私たちの身体には、声をカタチで捉えるしくみが備わっています。エンパシームは、先人の遺産を受け継ぎ、情報が目で見て直感的に一瞬でわかるようにして、プラクティスに使えるようにした変換フィルター。

Voice nurtures the mind.(声が心を育む)

サイエンスも心の学び

Science is deeply imaginative.

福沢諭吉の著書『訓蒙・窮理図解』から。「温気の事。どんな物でも熱すれば膨張するし、冷やせば収縮する。自然界にあるすべての物が、熱の恩恵を受けている。空気の事。空気は世界を取り巻いて海のようである。」熱の恩恵、空気の海。目に見えない物事に共感のまなざしをむけることがサイエンスの心を養います。リベラルアーツもそういう意味。

空を見上げるだけで(英プラから)

「英プラ」トレイル3、ストーリー「Look at the sky』より。大昔の人たちは、空に線を引いて「星座」を創造しました。星の光を見ることは、過去の姿をみること。空を見上げるだけで世界はひろがります。毎日、空を見上げるだけでよいのです。

身体で覚える (後編)

小脳は運動制御にとどまらず、高次認知機能で活動しています。脳の外側にあるものをまねること、言語にも思考にも深く関わります。学習の秘訣は、もっと身体を使い、小脳を活かすことです。それは、すべての学びに共通する秘訣です。ところが私たちの勉強方法は文字を読むことに大きく偏り、せっかくの身体・小脳も使わないままなのです。

Learn to practice, practice to learn.(プラクティスを学び、プラクティスで学びを身につけよ)

身体で覚える (前編)

勉強というと黙って教科書を読み、ノートに文字を書くこと?文字による知識の習得が勉強、そんなイメージが強いですね。でも、勉強も学習、練習の一部。また、頭(脳)も身体の一部です。私たちは勉強とか学習ということばを聞くと、つい、読んで文字を覚えることばかりを思い浮かべてしまいますが、本来、学びは身体を使ったプラクティスです。

Practice Every Day. (毎日が、プラクティス)

発明は必要の母 ②(では、発明の母は?)

発明の母は、ねがいです。ねがいとは、あれが欲しい、これが欲しいという欲望のことでありません。じぶんがそうありたいとねがうことです。そのような思いを表す英語に、aspirationということばがあります。「息を吹きかける」というラテン語から来たことば。ねがいを息吹のように吹きこむこと。声に出すねがいがあなたの発明になります。

Aspiration is the mother of invention. (ねがいの息吹が発明の母)

発明は必要の母 ①(あれ、反対じゃないの?)

アメリカ建国の父、初代大統領ジョージワシントンは「特許のしくみ」の父でもあります。発想する営為を特許システムというしくみにしたのです。ところで「必要は発明の母」と言われますが、真実はむしろその逆です。必要かどうかもわからない時にこそ、新しく発想し、「もしかしたら」をカタチに変えるのです。発明が必要性が生み出すのです。

Invention is the mother of necessity.(発明は必要の母)

ふれあいそのものが、ことばだった。

人間の言語の起源は、音声が先か、身ぶり手ぶりが先か?現代の私たちにとって、身体の自然、無意識的な動きと、声のことばによるコミュニケーションは切り離せません。身心のふるまいが表われて、声ことばになる。声ことばが湧き上がり、ふれあいになる。ふるまい全部がことば。ふれあい全部がことば。ことば以前に相手がいたのですから。

Interactions came before words.