つくるから、想像できる
陶芸に勤しむユキさんはこう言います。「ついにできました。こんなものをつくりたかったんです。どんなことをしてもこわれない、というものにする必要はない。頭の中に、想像があるんじゃない。創造したものがあるから、想像できる。頭の中に何かがあるんじゃなくて、つくる時に、つくることで、想像される。そう思えるようになりました。」
Life is what you create.(人生はじぶんでつくるもの)
陶芸に勤しむユキさんはこう言います。「ついにできました。こんなものをつくりたかったんです。どんなことをしてもこわれない、というものにする必要はない。頭の中に、想像があるんじゃない。創造したものがあるから、想像できる。頭の中に何かがあるんじゃなくて、つくる時に、つくることで、想像される。そう思えるようになりました。」
Life is what you create.(人生はじぶんでつくるもの)
花。「はな」は、ものごとの先を表すことば。半島の先(例:長崎鼻という地名)、ものごとの先(出ばな、初っ端)。つまり、はな=端=花=鼻。私たちは漢字で意味をわけることに慣れすぎている。便利だが、母語の起源を知らずに暮らしている。似た光景や現象を捉えて、ことばが生まれた。共通のイメージを組み立て直すと実感が湧く。
To walk is to reflect.(歩くこと、ふりかえれる
毎日のように、目にしていても、見えていないことがある。単に名前を知っても、見えてない。でも、ひとつのきっかけのおかげで、それまで、見えていなかったことが、わかる。そして、よく見えるようにある。日々、歩いていれば、いつかきっかけが訪れ、気づけます。歩くと、雲を見え、足音を聞こえ、花の香をかぎ、風にふれられます。他にも。
「だって、〇〇だから。」このことばを言わずに過ごすだけで、気分が大きく変わります。気づかないうちに口にしている、そのことばが出ると、いろんな理由も一緒に出てきます。でも、何も解決しません。それどころか、なんだか余計、息苦しくなります。「だって」をやめると「平気」に過ごせて「しあわせ」が感じられます。お便りからの紹介。
You don’t have to say that.(そのことばは、言わないでもいいんだよ)
梅田規子さんは言います。「心は見えないが、動いている。空気の動きが融合し、まとまりとして統合する。まとまり同士がさまざまなパターンを生み出す。そのようにして私たちは、心を通わせたり反発したり、影響されたりしている。この世はなんとも不思議で、わくわくする。」エンパシームで、そんな不思議な体験をかいま見ることができます。
Inspire wonder.(ふしぎを胸に)
「間」というのは、生きていることを確かめる時間の区切り、切断、響きである。間は、何か身をまかせた愉快な、やわらいだ、こころよさ、その美感が、ほのぼのと生まれてくる。道を極めるアートやスポーツに匹敵することが、だれでもできる。静かにすわり、じぶんをふりかえること。1日1回、小さな間をつくり、[いま] に委ねること。
Cultivate your moments. [いま]を耕す。
ひとりでいることは悪いのか?山折哲雄さんの訴えは痛切です。私たちは「ひとりで生きている」のではなく、みな「ひとりを生きて」います。生まれたその日から、人生はひとりのプラクティス。「ひとり」をプラクティスすることが生きること。ひとりを習い、味わい、深めることが「実はじぶんひとりでない」というありがたさを生み出すのです。
You’re not alone.(ひとりではないよ)
私たちは、原因から結果を考えるだけでなく、目の前の結果から原因を推し量っています。表情から気持ちを察するように、日常は「逆問題」に満ちています。しかも、原因だと思っていたものが、じつは結果だったということも少なくありません。「話は反対だったのでは?」と問い、いつもの見方をさかさまにすると、じぶんの思い込みに気づけます。
Try the other way around. (反対向きにやってみよう)
道元『典座教訓』は、料理の心得を説きます。「食材を料理するのではない。じぶんが食材である。宇宙と一体のじぶんを料理するのである。」そのような気持ちになりきって働くこと。
「心得」とか「心がけ」ということばがありますが、心に得るとか、心にかけることは、頭の中ではできません。身をもって、心をこめる「ふるまい」が必要です。
Act. You’ll realize something. (ふるまえば、何かがなされる)
私たちは「身をもって」体験するとか、心をこめて接する、ということの大切さを学びます。ところが、頭の中では知っているつもりでも、「身をもって、の原点は何か?心をこめて、の出発点は何か?」と聞かれると返事に困りますね。それは、文字どおり、身体の姿勢とその場をつくることです。身体のふるまいの中に、私たちは生きているのです。
Act, to be engaged.