Empatheme『間』

中井正一さんは、このように語ります。

「空間は、生きているものである。空間の中に、人が生きているのではなく、生きていることが、空間なるものをいろいろの姿にゆがめたりするのである。また、空間ばかりが生きて、いろいろにひずんでいるのではなくて、時間もそうなのである。」

「今」と簡単にいっているこの「今」が、こころの調子次第で、後に向って待ちうけるような「今」と、前のほうに向って出発点となるような「今」と、二つの感じをもっている。」

「陸上競走でリレーをする時、バトンを渡す人のこころもち、つまり、たどりきたった苦しみを、最後までもちこたえているこころもちの人と、そのバトンを受けとって、今まさにレースコースにつっ走ろうとする人のこころもちでは、同じ白いラインもゴールとしてのラインと、スタートとしてのラインと、二つの意味をもっている。人のこころの姿勢で、同じ一瞬間、すなわちこの「今」でも、二つの調子、リズムとなるわけである。」

「日本語の、芸術家のよく用いるあの「間」は、「間あい」「間があう」「間がぬける」「間にはまる」「間がのびる、ちぢむ。」というあの間は、時間にも用い、空間にも使うのであるが、テンポでもなく、スペースでもない。モヤモヤした何ものもが、脱落しきった感じである。時間が、糸のように連続して流れていると思っていたのに、むしろ、切断されてしまって、ほんとうの自分が流れ動き、新しいものになっているのを感ずるのである。「間」というのは、この生きていることを確かめる時間の区切り、切断、響きなのである。」

Empathemian『Just be』

この「間」は、ただ覚えたり、意識してやったのでは、常に「間のび」するものである。ほんとうに「間にはまる」には、ただ訓練、一にも二にも練習がいる。これはスポーツでも同じである。」

「理屈こねるよりも訓練の中に飛び込んでみると、それらのもののいったことの中の、一番ほんとうのことが「ハハア、これか」と初めてわかってくる。「間があう」という「いきがあう」という、何か身をまかせた愉快な、やわらいだ、こころよさ、その美感が、ほのぼのと生まれてくる。」

道を極めるアートやスポーツのプラクティスに匹敵することが、だれにでもできます。

静かにすわり、じぶんをふりかえる、小さな[いま] 。

1日1回、小さな間をつくることです。
[いま] に委ねる姿勢です。

Cultivate your moment.[いま]を耕す。
Nurture your moment.[いま]を養う。
Inspire you moment, every day.毎日、[いま]を拓く。


出典:中井正一『美学入門・生きていることと芸術』