Empathemian 『Practice to Learn』

新年、おめでとうございます。

2020年は、「毎日がプラクティス」から始めました。
今年は、あたらしい学びの年にしたいですね。

Learn to practice. Practice to learn.(プラクティスを学ぶ。プラクティスで身につける)

スポーツ、楽器の演奏、職人の技。
学んで身につけるために、必要なことは?
説明はいりませんね。
何度もくりかえしくりかえし、身体で覚えることです。

学習とは、学んで習うことです。
学ぶとは、まず手本をまねて、くりかえすこと。
うまくいかないことを、何度もやっていくプロセスです。

そのくりかえしの回数が土台になります。
その上で、くりかえすだけではなく、ふりかえること。
ふりかえり、たしかめることは、必須の条件です。
学ぶとは、じぶんが変化していくことを、たしかめることだからです。

そして、つづけていくうちに、じぶんの方法をつくっていくことです。

ひるがえって、学校の勉強はどうでしょうか?
勉強は「頭を使うもので、身体は使わない」のでしょうか?
勉強というと、黙って教科書を読み、ノートに文字を書くこと?
文字による知識の習得が、勉強?
そんなイメージが強いですね。

でも、勉強も学習、練習の一部です。
また、頭(脳)も、身体の一部です。
どうやら、私たちは「勉強」とか「学習」ということばを聞くと、ついつい、読んで文字を覚えるものばかりを思い浮かべてしまいます。
そして、本来、学びは、身体を使ったプラクティスであることを、すっかり忘れているのです。

外山滋比古さんは、こう言います。

「トリは生まれた直後から、生きていくために不可欠なことを学ぶ。教えるのは親ドリで、これをインプリンティング(すりこみ)という。ヒナは親ドリのそばで、おなじことをくりかえしくりかえし、してみる。それが刷り込みだ。やがて、たとえば、飛ぶことができるようになる。しかし、これは飛び方を頭で記憶したのではない。何度もくりかえし、まねているうちに、体得するのである。これは忘れない。一生、おぼえている。コンピュータ式は大脳による学習であり、トリ式は小脳の作用によるものである。」

ただし、頭も、身体の一部です。
「頭で記憶しない」という意味は、「身体をいっしょに使って」という意味です。
体得もまた、脳を使わずに、という意味ではありません。
身体を使うことで、脳の使い方、鍛え方がちがうということです。

現に私たちは、ヒナドリのようにして、ことば(母語)を身につけてきました。
身体で覚えているから、忘れません。
何も考えずに、話せます。
勉強して覚えたから、話せるのではありませんね。
身体運動としてことばをアウトプットして定着させたのです。
身体のプラクティスです。

目で文字を読むこと以前のこと。

身体を使ってとは?

手で覚える(身振り、手振り、道具を使う)

声で覚える(声に出す)

耳で覚える(たずね、聞く)

肝心な学び方が、黙って文字を読むことだけに偏ってしまっているのです。

小脳をしっかり使い、鍛えずに、学ぼうとしている、ということです。


「身体を使って」には、よく眠ることも、大切な学びの一部です。

初夢のあと、明日のエンパレット「眠りはいのち③ 夢は創作ノート」をお届けします。
そして明後日のエンパレットで「身体で覚えるとは?」の後半をお届けします。

毎日が、プラクティス。(Practice Every Day)

「身体で覚える (後編)」

「身につけるしくみ ① (表面) くりかえすとは?」

出典・参照:『英プラガイド』、外山滋比古『ちょっとした勉強のコツ』

「[毎プラ] マイクロアクションが習慣のしくみ」

外山滋比古