全体こそ、われらの魂|エマーソンの詩より
つながりの中に、部分の中に、微細なつぶの中に、同時にわれらの中に、全体という魂が宿る。すべては分けへだてなく結びつき、われらは永遠なる全体と一体である。見る者と見られる景色さえ一つになる。ものごとをひとつひとつ分けて見ても、そのひとつひとつが輝く部分となる。全体こそ、われらの魂。その至福に、われらはいつでもふれられる。
The whole is the soul.
つながりの中に、部分の中に、微細なつぶの中に、同時にわれらの中に、全体という魂が宿る。すべては分けへだてなく結びつき、われらは永遠なる全体と一体である。見る者と見られる景色さえ一つになる。ものごとをひとつひとつ分けて見ても、そのひとつひとつが輝く部分となる。全体こそ、われらの魂。その至福に、われらはいつでもふれられる。
The whole is the soul.
ロジャー・フェデラーさんは、こう言います。「どんな選手も、毎週、勝てるわけではない。調子の出ないときはいくらでもある。でも、何も心配はいらない。じぶんの練習にもどればいい。失うものは何もないよ。」他に何ができるかい?とじぶんに聞くだけで、そのことばが強い味方になります。気が和らげば、平静な状態にすぐ戻れるのですから。
Get back to work. What else can you do?(ふだんにもどればいい。他に何ができる?)
記憶があるから、思い出すのではありません。思い出すから、記憶になるのです。思い出すのは、脳がひとりでやっているわけでありません。道具の手助けなしには、なかなかでてこないものです。記憶は「つながり」です。つながりによって、その都度、アウトプットされてくるものです。50年以上前の、一枚の写真からのエピソードです。
We don’t remember days. We remember moments.
耳は聞く役割、目は見る役割。それぞれ別系統で情報を入力しています。大脳皮質の中で、目から来た情報の波と耳から来た情報の波がぶつかるところに発生するのが言語です。別々の情報経路を共通にできるのが人間の脳。そのようにしてことばは生まれ、人間は進化しました。耳と目の結婚によって、ことばは五感と結ばれ、全身と一体化しています。
Ears and eyes got together and created language.(耳と目が結婚してことばが生まれた)
ふだん、ことばが先にあり、それでやりとりすると思っていますね。実は、他者との、ことば以前の対話からことばは生まれます。その逆ではありません。対話性によってことばを獲得します。私たちは相手とやりとりすることばと共に生きていて、それが内なる対話もつくります。脳内に声で発するインナースピーチで対話する存在。それがじぶんです。
I am the dialogue with myself.(対話がじぶん)
「十字架を背負って生きるのよ。」そのことばはいつも私の心にありました。長い間、「重荷を克服して生きる」という励ましに聞こえていました。30年がたち、あの日のことを書きました。描いてみると、ずっと脳裏にあった光景を、じぶんの外に置くことができました。十字架とは重荷を担ぐことではありませんでした。そのことに気づいたのです。
You’re not alone.(ひとりで生きているのではない)
乾燥マンゴーに唐辛子をまぶす。甘さと辛さ、異なるものを隔てず、近づけ、あえ、包みこむ。発明は一人の天才のひらめきとは限りません。すでにあるものを少しずらし、異なるものを重ね合わせる。何世代もの無数の手が、屋台の味を変奏し、育ててきた。発想とは分けて考えるクセを手放し、出会わせ、混ぜ合わせ、そこに新しい関係をつくること。
Unlearn the divide. Think the other way around. (分けるという発想を手放せ)
教えたことを覚えたかは、テストでわかる。でも、何が身についたかは? その本人がじぶんだったら?身についてきた? 何か変わった? じぶんにとって意味がある? 正しい答えはいりません。あえて声に出してじぶんにたずね、ふりかえる。その体験が自問する力を育てます。じぶんから問いをもつことで、じぶんにとって大切な意味が生まれます。
Dare to ask yourself. (ひらきなおって、じぶんにたずねる)
「わかった」と思っても、たいていはまだぼんやりしています。「わかった気」で体験を流さず、じぶんの軌跡をたどって反芻する。気づいてから書くのではなく、一行書くことで気づきやすくする。さらに、気づきやフィードバックを次の行為に返し、またふりかえる。この循環を重ねることで、じぶんのふるまいが見え、自覚が育ちます。
Write one line. (1行しっかり書く)
答えをすぐ外に求めると、じぶんで問い、気づく機会まで手放してしまいます。外で起きたことを、どう見て、聞いて、受け取るかは、じぶんの内側で起きています。まず、じぶんにたずねる。「何が邪魔している?」と問いの向きを変え、最も大切なことに注意を向けます。問いをひとつに絞り、次の行為につなげることが、自問のプラクティスです。
Ask yourself. (じぶんにたずねる)