養生をまなぶ一歩

貝原益軒『養生訓』。「庭に草木を植えて愛する人は、朝晩心にかけて、水をやったり、土をかぶせたり、肥料をかけたり、虫をとったりして、よく養い、その成長を喜び、しおれるの悲しむ。どうして自分のからだを草木ほどにも愛さないでいいことか。若い時からはやく養生の術を学ぶことである。」エンパシームは養生のプラクティスになります。

Let’s practice Empatheme.(エンパシームで養生のはじめ)

人生の目的は人の助けになること

人生の目的とは?〇〇とは?という質問をして、答えをひとつだけ探すことに慣れすぎていませんか?アルベルト・シュバイツァーはこう説きました。人生の目的は人の役に立つこと。いつくしむ心で人の助けになること。「人生の目的は幸福」ではありません。幸福という「目的達成」のゴールではなく、そのように生きることが心を豊かにするのです。

The purpose of human life is to serve and help others.(人のために生きている。人生の目的は人の助けになること)

すべての生き物がじぶんの物語をつくっている[精神とは相互作用の連続体]

精神とは、人間の頭の中にあるのではありません。人間の心(mind)は、人間の外側にある自然界が映し出されています。人間だけが精神的に生きているのではなく、すべての生き物がじぶんの物語をつくって生きています。精神とは、物事の関係、相互作用の連続、結びあわせるパターンのことです。じぶん中心を忘れると見える世界が変わります。

You can always see things differently.

じぶんに声できいてみる

私たちは、ずいぶん小さい頃から、人に教わったことを優先してきたようです。「問題」と聞くと「答えを出さないといけない」というふうに。でも、本当に大切なことは、問いを立てることです。問題を考えることが、基本原理。そう、私たちの日常も、じぶんに聞くことなのです。じぶんにたずねるだけで、物事はちがって見えてきます。

Am I relaxed? 身体の力を抜いた?

やわらげる掛け声 [UNのつく動詞]

英語には、unで始まる動詞があります。例えば、undoには「やり直す、元の状態に戻す、反対方向に向ける、やわらげる」といった意味があります。一度してしまったことを、文字通り「やり直す」ことはできない時でも、undoできます。それまでと反対方向に心を向けること。何かに行きづまった時、空にUnの文字を思い浮かべてみましょう。

undo x [uneasy] → easy (落ち着かない状態を和らげるかけことば undoで、ざわついた状態に落ち着きをもたらす)

ひとりで生きているのではない[みな、ひとりを生きている]   

ひとりでいることは悪いのか?山折哲雄さんの訴えは痛切です。私たちは「ひとりで生きている」のではなく、みな「ひとりを生きて」います。生まれたその日から、人生はひとりのプラクティス。「ひとり」をプラクティスすることが生きること。ひとりを習い、味わい、深めることが「実はじぶんひとりでない」というありがたさを生み出すのです。

Practice Self.(ひとりを、学べ

肉声が音とイメージを結びつける(オノマトペは皮膚感覚)

私たちの暮らしに最も密接なことば、オノマトペ。使わずに1日を過ごすのは至難です。日本語はオノマトペに満ちた言語。ものごころがつく頃にはオノマトペを使いこなしています。擬態語や擬音語と呼ばれますが、端的にいうと音で表した絵、絵になる音。それは身体感覚。音とイメージは表裏一体です。いいアイディアを紹介します。

Sound is image, image is sound, in your mind.(心の中、音は絵、絵は音)

道具のおかげで考えられる(頭だけじゃなくて)

バーテンダーが10人の注文を一度に受けても平気なのはなぜ?グラスを並べ、その場の状況を利用しているからです。手で並べたグラスの列といっしょに考えているからです。頭だけではありません。道具のおかげで考えられます。道具は使うもの。でも、いっしょに考えてくれる相手です。エンパレットは、絵とことばできっかけをつくるツールです。

Not just your brain. (頭だけじゃない)

心得のメソッドとは

道元『典座教訓』は、料理の心得を説きます。「食材を料理するのではない。じぶんが食材である。宇宙と一体のじぶんを料理するのである。」そのような気持ちになりきって働くこと。

「心得」とか「心がけ」ということばがありますが、心に得るとか、心にかけることは、頭の中ではできません。身をもって、心をこめる「ふるまい」が必要です。

Act. You’ll realize something. (ふるまえば、何かがなされる)

手がかりは、身のまわりにある。(しっかりふれさえすれば)

人間は宇宙の一部。この身を包んでいる自然と共に生きています。でも、ふだん、自分でじぶんを観察することをしないので、そのことを忘れています。でも、本来、私たちと、自然の物事の本質はおなじです。みな同じように、活気をもち、自然に生き生きとする姿はおなじ。その貴重な手がかりが、すぐ目の前にあるのです。手でふれてみることです。

Keep in touch.(しかと、ふれよ)