耳順(耳したがう)とは?②(時をかけ、続けると円熟する)
孔子は耳順(みみしたがう)を人間円熟の形式だと考えた、と小林秀雄さんは言います。知識を増やすのに時間がかかると言ったのではなく、世の中は、時をかけて、みんなと一緒に暮らしてみなければ納得できない事柄に満ちている、だから本質的なのだ、と。円熟は耳順の別の表現。耳順は他者と共に生きる意味をかみしめる、心の円熟を表すことば。
Cultivate your inner speech.(心のことばを育てよ)
エンパレットのカテゴリー Cultivate 修養
孔子は耳順(みみしたがう)を人間円熟の形式だと考えた、と小林秀雄さんは言います。知識を増やすのに時間がかかると言ったのではなく、世の中は、時をかけて、みんなと一緒に暮らしてみなければ納得できない事柄に満ちている、だから本質的なのだ、と。円熟は耳順の別の表現。耳順は他者と共に生きる意味をかみしめる、心の円熟を表すことば。
Cultivate your inner speech.(心のことばを育てよ)
結果ではなく、肝心なのはプロセス。でも気づかぬうちに、じぶんで「いい・わるい」の判断をして、結果を気にしてしまうもの。判断を忘れているような状態に近づける練習は?Simplify Small Short Slowがキーワード。シンプルに、小さく、短く、落ち着いて。エンパシームは「練習の克服」のプラクティスになります。
Simple, Small, Short, Slow.
「ある・いる」という存在を表すことば 、英語では、be。ギリシャ語のphyoという「生じる」ということばが語源です。この動詞からできた名詞が、生じるもの「physis」(自然)という意味です。自然を表すラテン語源の「nature」も「nurture」(養う)も植物の生育から生まれたことば。人間は植物に似ているのですね。
Nurture habits. (じぶんのふるまいを養おう)
修養は身をもっておこない、心を養うこと。習慣をつくることは、じぶんが変わるように、しむけること。だからどうありたいか、ねがいの方向づけが大切です。じぶんは「どのようなおこない」をする人になりたいか、を表すことばがその方向づけになります。なりたいじぶんを表すことばをひとこと、じぶんにむけて声にして、じぶんで聞くこと。
Be a doer.(する人になれ)
脳神経学者ベンジャミン・リベットの実験によると、人が「何かをやろう」と思った0.5秒前に、すでに神経活動が始まっているといいます。実は、私たちの日常の会話でもおなじことが起きています。ことばは1秒ほどの単位で、気づかぬうちにふるまう身体動作。実は、聞こえる前に、もう聞いているのです。姿勢が先にあるからです。
Begin to begin.(姿勢がしむける)
教育は、だれかが教えてくれること。修養は、じぶんで身につけること。修養に大切なのは、足し算の発想ではなくて、引き算の発想です。何かをがんばってしようとするのではなく、むしろ、そのような意識を、一日一回、和らげてあげること。じぶんをふりかえり、気持ちを確かめることです。そしてそれが、毎日続くことで修養になるのです。
What matters is subtraction, not addition.
修養とは「修身養心」。具体的に何をすることでしょうか?一生懸命努力すること、無理してがんばることではないのです。修養は修行ではありません。修養のエッセンスは、1日5分でよいから、姿勢を正してすわり、心を空っぽにするプラクティスです。考えることではなく、何も考えずに、心を落ち着けること。それが毎日続くようにすることです。
Let it go.
心を空っぽにする。
じぶんの声が最大の味方。いちばんの力です。声に出す時:① じぶんでそのことばを聞いている。② わずかの時間でくりかえせる。③ くりかえすことばが思い出しやすい。④ ことばにする行為自体が身につく。声を出す時間、2-3秒という小さな行為(マイクロアクション)だからこそ、たくさんくりかえせます。これが修養の基本原理です。
What goes out is what comes in.(出力が入力になる)
プラクティスとは、意識した「練習」だけではありません。それは全体のごく一部。気づかずにくりかえされている、じぶんの心身の動きです。プラクティスの95%は、無意識的。たとえば、ほんの数秒が待てず、いらいらすること、ありませんか?それは「いらいら感じる」プラクティスをしているのです。そう捉え直すことで見え方が変わります。
You are practicing judging something without knowing it.(知らないうちに、答えを決めるプラクティスをしている、じぶん)
何かをする力は何かをしない力にある(アリストテレス)。何かを成しとげるには、多くをしなければいけないと考えますが、いろいろやろうとするうちに、エネルギーは消耗します。じぶんの身体や心を疲れさせるようなことを、しないことで、何かをする力が湧いてきます。入力過剰の1日、ほんのひと時それを和らげる時間を持ちましょう。引き算の要領。
What lies in our power to do, it lies in our power not to do.(何かをする力は、何かをしない力にある)