It may work うまくいくかも
Work(はたらく)とは「何かが動くこと」です。例えば、疲れて頭が回らないという時、workしていない、はたらいていない、と表現します。It works という表現には、意外な効用があります。それは、何かをした時に、自分の成功・失敗を語るのではなくて、相手の視点で語れることです。自分で「失敗」だと決めつけないことです。
Nothing will work unless you do.(じぶんでやらないとうまくいかない).
エンパレットのカテゴリー Cultivate 修養
Work(はたらく)とは「何かが動くこと」です。例えば、疲れて頭が回らないという時、workしていない、はたらいていない、と表現します。It works という表現には、意外な効用があります。それは、何かをした時に、自分の成功・失敗を語るのではなくて、相手の視点で語れることです。自分で「失敗」だと決めつけないことです。
Nothing will work unless you do.(じぶんでやらないとうまくいかない).
母語の日本語。音で身につけています。文字で覚えることもできますが、身体で身につけるのは、音。ふだん、話したり、聞いたりする身体運動は、ほとんど無意識的です。ことばは音だという根源的なことに気づきにくいのです。言語習得の基本原理は、身体で音をつくりだし、相手の音を捉え、それを脳内でイメージと結びつけられることです。
Language is sound.(言語は音)
物事は丁寧にすることで身につきます。でも、つい、めんどうくさいところを端折っても、たいした影響はないだろう、と考えたりするもの。数秒のことなのだけど、それができない。あとでちゃんとやるから、大丈夫。でも、そうはなりません。「いま、しっかりすれば、また後でもやり直せる(何度でも)」そう、声に出す習慣ができると、効きます。
If you don’t have time to do it right, when will you have time to do it over?”
習慣の要素やモデルを知識で納得しても行動にはなりません。いえ、本を読んで満足すると、かえって行動に踏み切れません。習慣化には、具体的な身体作法が必須です。エンパシームは、具体的な身体行為の単位と作法を定め、そのガイドを組み込んだ、プラクティスのメソッドです。プラクティスを妨げる要因を見極め、じぶんの姿をふりかえります。
Make it simple.
「人生に夢があるのではない。夢が人生をつくるのだ。」無双の勇姿、大谷翔平選手。私たちは、その「結果」をまねることはできません。が、大谷翔平選手の「原因」をまねることはできます。なりたいじぶんに「なりきる」こと。そのような1日を過ごしたか、毎日、確かめることです。夢は、大切なことばを、育てることです。
Be the one and only.(無双の勇姿たれ)
プラクティスとは、むずかしかったことがやさしくなること。じぶんが変化すること。コンスタントにできるようになること。じぶんが変化するプロセスがプラクティス。どんなことも、はじめは、むずかしいもの。でも、続けているうちに、じぶんとのつながりができ、だんだんうまくなります。じぶんとのつながりをつくるプロセスがプラクティス。
All things are difficult before they are easy.(どんなことも、やさしくなる)
プラテクィスとは何か?① じぶんでする ② 身体でする ③ 定期的にする ④ くりかえしする ⑤ ふりかえる ⑥ 自分が変化する ⑦ 習慣になる。Practice は 、実践+練習+習慣の自覚です。プラクティスとは何かを成し遂げることではなく、よい状態に導く、方向づけ。じぶんに変化をもたらす力を引き出すしくみです。
It helps you do and get better.(実際にやって、うまくなるのを手助けする)
忘れることはいけないことではありません。実は、覚えるためには忘れる必要があります。どんなことでも、いっぱいになってしまうとそれ以上入らなくなります。「学ぶ」と「忘れる」はひとつの循環なのです。深い眠り(ノンレム睡眠)も記憶を整理するプロセスです。一度眠らないと記憶されません。忘れることで大切なものが残り、学べるのです。
Let it go.(忘れてよい)
長田弘『一日の終わりの詩集・空の下』のあとがきにこうあります。「人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ、ということだった。」静かにすわり、一日という単位を、ひと息ずつの時間でエンパシームに。
Embrace small moments.(小さなじかんを大切に)
Like a boy playing on the seashore.(海辺であそぶ少年のように)
ニュートンのことば「私は海辺で遊ぶ少年みたいなものだった。ちょっとなめらかな小石があったり、きれいな貝殻があったりすると、それで夢中になっている。真理の大海が手つかずのまま、目の前にあるということも忘れたままで。」夢中になるプラクティス。それは、身の周りのふしぎに近づいて手でふれること、声に出してことばにすることです。