Empathemian『教外別伝不立文字』

Focus on the sound, not on the letters.(不立文字)

禅は、プラクティスの極意を実践します。
大和和尚さんとの対話から。

立考:不立文字ふりゅうもんじと言いますね。
大和:はい。ことばにすると囚われます。
立:囚われるとは?
大:ことば、つまり、概念に縛られることです。
立:でも、ことばは原動力でもありますよね?
大:そうです。宿命です。だからこそ。
立:行為がおろそかにならないように戒めるわけですね。
大:はい。常に本質を確かめるのです。
立:仏典もお経も文字ですよね。
大:だから、声にだす必要があります。
立:音は、何が違いますか。
大:文字を読むと頭の中でひとり歩きします。
立:文字にすると、時間が止まりますね。
大:空間です。順番がなくなります。
立:音で聞き入れると?
大:心のバランスが取れます。
立:なぜでしょう?バランスとは?
大:時間を無視できるので都合がいいですよね。依存してしまいます。
立:なるほど。依存から離れるためですね。
大:禅は、そのための行(プラクティス)です。

Empathemian, 『Be focused』

Be rhythmic.(リズムになりきって)

立:ところで、不立文字にぴったりのことがあります。
大:学ぶ心には常に関わると思います。
立:はい、特に第二言語学習です。
大:それはおもしろいですね。
立:英語は、文字で単語を覚える学習から始まります。
大:始まるだけでなく、それが最後までメインですね。
立:ええ、外国語は「読んで理解する、文章を組み立てる」ことがほぼすべて。(*注1)
大:言ってみれば、漢語と同じく、英語も文字を訓読みしているわけですね。
立:そうです。問題は、文字依存が強いと、音を聞き取る練習がむずかしくなります。
大:ただたくさん聞いてもダメなのですね?
立:音の全体感をまねて、似せられてはじめて、聞こえるようになります。
大:耳を鍛えるのに、文字が邪魔するわけですね。
立:その通りです。意味をわかろうするから、なおさら、音を聞いていない。
大:練習すればできるようになるのですよね?
立:もちろん。でも、脳内に自己流の文字音を減らす、自覚を促す必要がいります。
大:なるほど。

Empathemian, 『Be rhythmic』

Act of unlearning.(依存から離れよ)

立:聞き取りに特に重要なのは、個別の音というより、セリフの持つリズムです。
大:リズムは、時間の感覚ですね。
立:そうです。文字依存が強いと、すぐに答えを知りたくなります。
大:文字で書かれたものを読むと、楽なわけですね。
立:答えを知るとわかった気になりますから。
大:じぶん自身に気づけないということですね。
立:だれだって、そうなります。
大:宿命ですね。
立:せっかくの練習が、練習にならなくなります。
大:禅とおなじですね。
立:はい。じぶんでやって、失敗する機会がなくなります。
大:文字知識で勉強してきたわけですので、無理もありません。
立:そうです。教わろうとするから、じぶんでやって、うまくいかない体験が極端に減ってしまいます。
大:まさに。学習で、そのようことを言っている人を聞いたことがありませんでしたよ。
立:禅の極意と言わずとも、すべての習い事、スポーツにせよ演奏にせよ、みなおなじなのに。
大:学校の勉強科目だからでしょうね。
立:そうです。失敗する場がない、ということなんですよ。
大:転ばずに歩けるようになるこどもはいませんからね。
立:そうなんです。うまくいかないことからだんだん改善していくプロセスがなくなってしまうわけです。
大:それで不立文字。
立:はい。そこに尽きます。文字がいけない、というのではなく。
大:だから、不立文字ですね。
立:はい、ならう原理はおなじなのだと思います。

禅と言語習得 ③ 以心伝心(心があってことばが身につけられる)につづく

出典・参照:英語トレイル、以下のエンパレットなど

(*注1)第二言語学習とは(何語であれ)、外国語の文字・単語を母語の音・リズムで覚える、というところから始まります。なので、聞き取れないのは「あなたのせいではなく」いわば宿命でもあります。でも、やり方によってかなり習得できることも事実です。ということはどこかで肝心な切り替えスイッチを入れる、というところにポイントがあるわけです。

禅と言語習得 ① 只管打坐「なりきる真意」

英語の「音を聞き取り、音で伝えられる」

Let it go. [行きづまったら、そっと手放すために]

「答えを教えてもらうことに依存しているじぶん」に気づいていない?

明るいところにカギはない(教えて依存症ですよ!)