想像の空間を生きているのに [ふだんすっかり忘れている]
映画監督 デイビット・リンチさんのことばも、芥川龍之介『藪の中』も、大切なことを思い出させてくれます。私たちは、つねに想像の空間を生きているということ。ふだんはすっかり忘れています。真実は語りきれないもの。たったのひとつの真実というものは、ない。そのように捉え、表現によって想像が湧き起こる時に、ハッと気づくのです。
It’s up to you.(じぶんで感じるように)
映画監督 デイビット・リンチさんのことばも、芥川龍之介『藪の中』も、大切なことを思い出させてくれます。私たちは、つねに想像の空間を生きているということ。ふだんはすっかり忘れています。真実は語りきれないもの。たったのひとつの真実というものは、ない。そのように捉え、表現によって想像が湧き起こる時に、ハッと気づくのです。
It’s up to you.(じぶんで感じるように)
おいしい焼きおにぎりとは?香りをかぎ、音を聞き、色を見て、丹念に、手を動かす。みまもる姿勢が、おいしさに変わる。すべては自然の力。その現象のまわりを、手入れするだけ。あせらずに、楽しみ待つこと。人のためにつくるから、心がこもる。みんなでわかちあえるから、おいしい。七輪炭火の焼きおにぎりは、じぶんをプラクティスする場。
Relish your moment.(この時を味わおう)
デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの絵。静謐のじかん以外、なにもない場。とびらが静謐なのではなく、それが感じられる時だけ、心が静謐になるのです。だから、いま、見ているあなたの心が映っているのです。Less is more. Less(それ以外は何もない)を深めると、more (それしかないもの)が引き立ちます。
Less is more.
「ある日どこかで」は想像をたのしむ映画です。想像上の夢物語?いいえ。実は私たちは、いつでも過去を思い出し、未来を想像することができます。頭の中で時間をさかのぼったり進めたりできるメンタルタイムトラベルは、人間に固有の能力。生きていること自体がタイムトラベル。その営みが起こる場が時間。時間は想像の脚本、じぶん固有の台本。
We’re always somewhere in time. (いつだって時間を超える想像を生きている)
インスピレーション。ピアノの鍵盤「ドレミファソラシド」にひとつひとつ顔をつけるのです。ある日、先生がピアノを弾く時の鍵盤のあがりさがりが、ドレミファソラシドという小人の動きに見えたことに得た着想でした。紙を小さく丸く切り取って、ひとつひとつ顔の絵を描き、そっと置いてふたをしめ、開ける瞬間の驚きを想像しながら待ちました。
Inspire imagination.
鏡に映すと、なぜ右と左が反転するのでしょうか?実は「左右が反転する」ように見える現象の奥に「人間らしさ」がつまっています。鏡は物理現象だけなく認知現象です。相手の視点に立って想像できる、という人間に備わった能力が発揮され、また、鏡に映っているじぶんを思い出すことができるように、その場にいなくても想像できる力の反映です。
Look at yourself in the mirror.(鏡でじぶんを見てごらん)
宮沢賢治『インドラの網』と早田文蔵の描いた華厳経の「高次元分類ネットワーク」インドラの網とは、無数の宝珠(ほうじゅ)が結びあい、ひとつひとつがたがいに映しあうという、大乗仏教(華厳経)の宇宙観を表すメタファです。私たちは、インドラの網のようにつながった「共感の宇宙」に生きています。夜の大空を見上げるだけで実感できます。
We are the network.
テクノロジーは人間の創造物であり、人間は自然の産物である。スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968年)と、宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』(1932年)を通して、人間、自然、AIの関係を問い直す時、現れてくるもの。それは、人が「生きる」ことの意味です。実は、生きる様式は、ふたつあります。
You don’t die for others. You live for them, and with them.(人のために死ぬのではない。生きるのだ。心の中に)
生きる目的は何か?このような質問されると、どこかに答えがあり、それを求めて探すべきことのような気になります。ところが、カントは明快にこう言います。「人間は何のために存在するのかという問いは、そもそも無意味である。じぶん自身の中にいちばん大切な目的がある。存在しない設問を立てて迷ってはいけない。目的はねがいの中にある。」
The purpose of life is a life of purpose.(人生の目的は、ねがいを育てて生きること)
ギリシャの格言「タ・パテマータ、マテマータ」は「人は痛みによって学ぶ」という意味です。パテマータは、身に受ける痛みの体験。パトス、パッションと同じ語源で、受け身の心。マテマータは学ぶこと。「数学」と翻訳されたマテマティクス の語源と同じで、想像、推論の働き。物事をじぶんと結びつける力の原点は、他者の痛みに共感すること。
Guide your learning through pain.(痛みこそ、学びのガイド)