心得のメソッドとは
道元『典座教訓』は、料理の心得を説きます。「食材を料理するのではない。じぶんが食材である。宇宙と一体のじぶんを料理するのである。」そのような気持ちになりきって働くこと。
「心得」とか「心がけ」ということばがありますが、心に得るとか、心にかけることは、頭の中ではできません。身をもって、心をこめる「ふるまい」が必要です。
Act. You’ll realize something. (ふるまえば、何かがなされる)
道元『典座教訓』は、料理の心得を説きます。「食材を料理するのではない。じぶんが食材である。宇宙と一体のじぶんを料理するのである。」そのような気持ちになりきって働くこと。
「心得」とか「心がけ」ということばがありますが、心に得るとか、心にかけることは、頭の中ではできません。身をもって、心をこめる「ふるまい」が必要です。
Act. You’ll realize something. (ふるまえば、何かがなされる)
絵本『いつでも会える』は、飼い犬が飼い主をなくす話です。犬のかなしみが人間のかなしみを語ります。犬のよろこびが人間のよろこびを語ります。犬の心と人間の心とがつながっています。犬の気持ちになって、じぶんによりそう、ということができるのです。相手の身になると、じぶんに寄り添えます。私たちは共に感じる世界に生きているのです。
私たちは「身をもって」体験するとか、心をこめて接する、ということの大切さを学びます。ところが、頭の中では知っているつもりでも、「身をもって、の原点は何か?心をこめて、の出発点は何か?」と聞かれると返事に困りますね。それは、文字どおり、身体の姿勢とその場をつくることです。身体のふるまいの中に、私たちは生きているのです。
Act, to be engaged.
じぶんの身に何かが降りかかった時。どんなことばでじぶんに語るか。マルクス・アウレリウスの「私にはそのように考えない自由がある」は、じぶんの身に起きていることは、世間や常識がどう言うかではなく、じぶんで捉えるというアクションに変えることばです。ひと息で声に出して、みずからに語りかけるアクションこそ、じぶんをはげます力。
Well, things happen for me.(きっと、じぶんのために起きるんだ)
サン・アンドレアス大地溝帯の真上にある森林トレイルの路上に、ひらりと舞い降りた一匹の蝶!地図でじぶんが歩いたトレイルを指でなぞると記憶がよみがえります。英語のtrail は、大地に足跡ができるように、線をつなぐ、という動詞。トレイル空間にいるじぶん。身体内の脳にある「身体運動地図」。そこにじぶんの姿が写っています。
Imagine your trail.(じぶんのトレイルを思い描いて)
じぶんの指先がじぶんのものであることが、なぜわかる?身体部位のすべてが脳にマッピングされて(写されて)いるからです。脳には「身体の地図」があるのです。その地図上で、運動の感覚記憶が働き、想像するだけで、身体は動いていなくても、脳が活発に働きます。想像することは運動することなのです。世界とふれあうじぶんが脳に映っているのです。
Imagination is a map.(想像は、地図)
「I’m humbled. じぶんが謙虚な気持ちになれるという意味です。ありがたいと思える時。共感を抱く気持ち。物事を素直に受け入れる時、心のとびらがすっと開きます。humbleになれば、未知の可能性が生まれます。それは、じぶんに気づくこと。声に出して言ってみましょう。静穏の空気に声が響く時、humbleになっています。
「なぜ?」原因や理由を知ろうとするのは「あたりまえ」だと思っていますよね。ところが「なぜ?」には、意外な落とし穴があります。それは、簡単に探せる答えをあてはめてしまうことです。よくわからないことでも、じぶんで原因や理由をつくりだし、それをことばにして決定づけることになります。それを防ぐための、いい方法があります。
¿Para qué?(何のために?)
Connecting the dots. このことばは、単に「点と点をつなげ」という意味ではありません。まずじぶんが歩いて、線ができれば後から点がつながる。失敗の体験も点になります。それらの点がなければ、後からつながりようもありません。点と点をつなげるものは、信じる心。じぶんが「線」になって、点と点を結んでいくのです。
Love what you do.
創造的に生きるには?特別なことはありません。だれにでもある、目と耳と口。どこにでもある、光と音と香り。私たちは、ふだんの世界に慣れきってしまい、ほとんどのものごとに「あたりまえ」というフィルターがかかっています。それをそっととりはずせば、身のまわり、じぶんのふるまい、みな不思議ばかりです。不思議は、創造のはじまり。
Don’t take it for granted. (あたりまえ、ではない)