エンパシームをみちびくパレット

パレットとは、運ぶもの、のせるもの。エンパレットは、古今東西の知恵、先人のことば、いまを生きる経験者のエピソードをのせたパレットです。じぶんと結びつけてみるだけで、これまで気づいていなかった、意外なことに巡りあえます。手のひらサイズにあわせた、エンパシームへみちびくガイド。習慣を身につけるプラクティスの「伴走者」です。

Practice Empallet daily.

共感の心は月かげ[エンパシームの中をのぞく]

空気も電気も重力も、みな共にふるまっています!そのような想像、小さな実感が持てると、科学の知識は、もっと活かせます。テクノロジーも、宇宙の不思議な力のおかげですよね。人間の心から生まれてくるもの。いえ、心はその一部ですね。科学の心も、哲学の心も、ねがいの心も、すべて人間が自然・宇宙とふれあうところにあります。

Inspire hope.

ふしぎ [エンパシームの原体験]

そこから とびだしてきた!
みんな おとのなかに はいってる
おとのなかに、ぼくも くうきも

おとのほうが
みえるへやよりも ずっとひろい

おとなのに よくみえる

えは そのはんたいの ふしぎ
とまっていたのに みんな うごきだす

えなのに よくきこえる
えはおと おとはえ

そのうえで ねむると よくわかるよ

エンパシームへの路(1)[経験のあとに意味が生まれる]

ここ至るまでには、多くの失敗、困難と葛藤がありました。また、多くの声援と激励、ご縁をいただいてきました。エンパシームに携わり、日々、声のことばをじぶんにむけて放って、じぶん自身の使命に気づくようになりました。それは、この時代においてこそ、技術と日常の実践をしっかりと結び、共感のつながる、あたらしい路をひらくことです。

だるまちゃんのきもち(1)

小さいだるまちゃんと、小さいてんぐちゃんが遊んでいました。「それ、なあに?」「これは、てんぐのうちわだよ。」「ふーん、いいものだね。」

小さいだるまちゃんは、うちへ帰って言いました。
「てんぐちゃんのような、うちわがほしいよう。」
大きなだるまどんが、たくさんうちわを出してくれました。「こんなうちわじゃないんだけどな。」だるまちゃんは、いいことに気がつきました。

だるまちゃんのヤツデの葉っぱを見て、てんぐちゃんはいいました。「ずいぶん、いいものをみつけたね。」だるまちゃんはいいました。「うん、でもーてんぐちゃんはいい帽子をかぶってるね。」

共感の精錬(フォトエッセイシリーズ)

「共感の精錬」というテーマでつづるフォトエッセイ(13回シリーズ)です。サイエンス、アート、ヒストリー、フィロソフィー、テクノロジー。分野のわけへだてなく、想像を自在に結びあわせる試み。現代の文明社会をよりよく生きる手がかりは、すべての人の「じぶん」という資源を精錬することにあります。共感を精錬するプラクティスこそ。

共感の精錬 (14) 『丹生のみち、共感の精錬』(エッセイ)

「多くが感じられる」ためには、素のふるまいで共感が引き出される環境を、じぶんの身辺につくることである。その思いに駆られて『海の宮』のエッセイの数で十数冊分の日々を過ごしてきた。エンパシームを共通の資源として捧げる探究の成果と互恵協働のコミュニティが一歩ずつ進んでいる。谷川先生へのオマージュとして、この一編を捧げたい。

共感の精錬 (13) 付記 ② じぶんの心を映す

「多くが感じられる」ためには、素のふるまいで共感が引き出される環境を、じぶんの身辺につくることである。その思いに駆られて『海の宮』のエッセイの数で十数冊分の日々を過ごしてきた。エンパシームを共通の資源として捧げる探究の成果と互恵協働のコミュニティが一歩ずつ進んでいる。谷川先生へのオマージュとして、この一編を捧げたい。

共感の精錬 (12) 付記 ① 水銀・人間の心・エンパグラフ

サイエンスの力、テクノロジーの力、アートの力、そして素のふるまいの力。これらは調和をもって合わせることができる。その思いをこの文章にこめた。「ひとつぶ」の共感を日常の中で身につける小さな素振りの力によって、何かがすこし違って見えたり、聞こえたり、感じられ たりする、未知の可能性を私は信じている。

共感の精錬 (11) サイエンス/アート/フィロソフィーをプラクティスに結いあわす

現代の文明社会をよりよく生きる手がかりは、すべての人の「じぶん」の中にある。きっかけは、思いが精錬され、実感に変わる時である。じぶんを資源として、きっかけは後から遡ってできる。その縁をもとにして新しい源泉ができる。ひとりのじぶんが資源になり、素材になり、未知の可能性になるという循環の回路をみんなでともに歩むことができる。