見え方を変えるには?(見方を変えるのではなく)

ものの見方はどうしたら変わりますか?頭で考えはじめないで、橋の向こう側でも、山の上でも、ちがって見える所にいくことです。いいえ、もっと身近にあります。それは、相手の身になって、じぶんを見ることです。相手は人間でなく、花でも虫でも、目の前の果物でも茶碗でもよいのです。そのようにふるまうことで、自然に見え方が変わります。

Just walk, listen and touch. (歩いて、聞いて、触れる)

思い出すから記憶になる

記憶があるから、思い出すのではありません。思い出すから、記憶になるのです。思い出すのは、脳がひとりでやっているわけでありません。道具の手助けなしには、なかなかでてこないものです。記憶は「つながり」です。つながりによって、その都度、アウトプットされてくるものです。50年以上前の、一枚の写真からのエピソードです。

We don’t remember days. We remember moments.

リスキリング(1)無意識に現れる学習の壁

文字で見ると安心しませんか?文字で読めればわかる。意味さえわかれば簡単。すると、無意識的に音の処理を過小評価してしまいます。「文字を見ないとわからない」ということに、気づかないことが、英語学習の壁になります。じぶんの脳は英語の音でどれだけ処理できるか?気づかぬうちに文字に頼っているのでよくわからないのです。

You don’t know what you can’t do.(できないことに気づいていない)

呼吸の中に生きている(小さなプラクティスから)

ストレスは、心身の健康に大きな影響を与えます。精神的なストレスは、心臓や血管に影響を与え、自律神経失調症をきたしたり、命に関わる様々な病気の要因にもなります。それでも「ストレス」をなくせません。ストレスは、私たちの身体の反応、じぶんの一部だからです。心身の状態を和らげる、ゆっくりとし呼吸を身につけることが大切です。

Life is in the breath.(呼吸の中に生きている)

つぶのメタファ[なぞらえると、くっきり見える]

想像とは、見えるものを介して、目に見えないものを見ようとすることです。あたかも見えているようなその気になって、そのフリをしてじぶんと結びつけてみることです。フリをするというと、なにかの演技のように聞こえるかもしれませんが、実は、想像は、絵を描くように、演じていることなのです。その時に使われる道具がメタファーです。

Use your minds’ eye.(心の目で見よう)

心のひと [洞窟のアーティスト]

氷河期のアルプス。フランスのショーヴェ洞窟一帯は多くの動物と人間が暮らしをともにできる、氷の谷間でした。壁画の描かれている洞窟は、入り口から何百mも入った奥まったところにあります。動物を描くということは人間の精神にとって根源的なこと。生きているものを描くことは精神的な営み、心のできごとです。人間は昔から、心の人なのです。

We are mind.(人間は心の存在)

レッスンは、教わるものではなく、身につけるもの

教えてもらうことは学ぶための最善の方法のひとつ。でも「教えてもらう=身につくこと」ではありません。いくら教えてもらっても、じぶんでしないとできるようにはなりません。プラクティスしてはじめて、学びがはじまります。身体を使って身につけることです。身体を使うとは、脳の各領域を活性化させることです。身体を使うと心が働くのです。

Lessons are not given, they are taken.(レッスンは与えられるものではなく、学びとるもの)

未来はじぶんでつくる [アラン・ケイ博士に会える場所]

パーソナルコンピュータの父、アラン・ケイさんのことば。未来のことはだれにもわかりません。だからこそ、未だだれも知らないものをつくれば、それが未来につながります。発明とはすでにある問題を解決するアイディアではありません。もしこんなことができたら、それで解決できることがある、というふうに想像して実際につくってみることです。

The best way to predict the future is to invent it.(未来を予想する最善の方法は、その未来を発明すること)

『アートの力』論

アートは、わたしの感じ方をつくります。じぶんの身体を使って、じぶん自身にむけてアウトプットすることによって、はじめて気づくことがあります。いえ、そのようにしないと、じぶんでは気づいていない、「気づくべき何か」が湧き上がってこないのです。絵でも音楽でも絵画でも陶芸でも、いえ、呼吸をして歩くことも、じぶんをつくること。

プラクティス『禅とテクノロジー』論

「聞くままに また心なき 身にしあらば をのれなりけり 軒の玉水」(道元禅師)雨が降っている。雨水の音に聞き入っている間は、自分を忘れていて、 雨は意識にのぼらない。ふと、われにかえり、じぶんが雨と一体になっていたことに、あとから気づく。夢中になるフローと、それを自覚できることが、人間に備わった力を引き出すことです。