じぶんという素材でつくる

「カリフラワー」の料理のレシピからのヒントです。「ゆで方ひとつで、カリフラワーがごちそうに。塩とおいしい油があれば、素材本来の味を最大限に引き出すことがきる。」じぶんという存在もまた、固有の素材です。それを活かせるような、レシピや、調理場や、友と出逢えることを信じて、じぶんをつくるのです。

You’re self-made.(じぶんでつくるじぶん)

作法を共にする道具があるからこそ

エンパシームは、スマホとしてじゃなく、スマホの存在と、周りの空気と、あなたの小さなふるまいで生まれます。作法のためのテクノロジーです。静かにすわり、気持ちをやわらげて。自然な流れにゆだねて、心をこめて、ゆっくりふるまうだけです。エンパグラフにあなたの姿勢と声と気持ちが映ります。伴走者のような道具の手助けがあるからこそ。

No one can live in your stead.(だれの代わりにも、生きられない)

自然とのふれあいの中にある[テクノロジーの本質]

テクノロジーとは?人間の力を補ってくれる便利なもの、しくみ。でもそれだけではありません。テクノロジーは、人間がつくり、使うものです。人間は自然の一部です。人間は、自然とのふれあい、かかわり、共に生きる存在です。テクノロジーの本質もそこにあります。「わけへだて」はせずに「自然とのふれあい」から考えることがいちばん大切です。

We are nature-made.

あとから共感素になる

音素(Phoneme)は、組み合わて言語を構成する単位。エンパシーム(Empatheme)も、これにならい、共感 (Empathy) という現象の最小単位になるという意味です。それがなぜ「共感の素」なのか?共感という現象は、自然にわき起こる気持ち、無意識的なものです。相手に共感しているじぶん自身に後から気づくものです。

春花秋月これ心なり

心の働く様子が花であり月である。心とはじぶんと春花秋月のぜんぶです。道元禅師が生涯をかけて取り組んだ主題。それは、自然宇宙が一枚の詩画となり、そこで「声のことば」が響いてくる世界です。じぶんが眼前の宇宙と一体化する「イマジネーションのプラクティス」です。宇宙と共に生きるとは、むずかしい理屈ではなく、無心になることです。

Every moment is you.

無意識の縁(フチ)を広げる

日常のほとんどは「無意識」です。無意識は「意識がない」ことではありません。意識も無意識も、環境と相互に作用しあう身体の働きであり、そのあらわれです。刻々と変化する状態の全部をあわせて「心」と呼びます。エンパシームには、意識と無意識の境目の、身体行為の縁を写し、プラクティスに利用するための「じぶんのピース」です。

声ことばが写る

声ことばは、ありのままの、シンプルなじぶんです。全身とまわりの空気をつかって、紡ぎ出した、Seed (種)に表れています。「おはよう」は、1秒ぐらい。「いい天気ですねー」は、2秒ぐらい。ひと息を区切る、小さなじかん単位、声ことばのリズム。Seedの中身がエンパグラフにこんなふうに写ります。あなたの心の姿勢も写ります。

くりかえしは、いのちのリズム [やすらぐ]

Do it over.

「くりかえし」はいのちのリズムです。柳澤桂子さんは言います「生命が誕生してからこの方、太陽は10の11乗回昇ったり沈んだりしている。人間は地球上に10の9乗回繰り返され、独りの人間を構成している細胞は6の14乗回繰り返されている。くりかえしそのものの中に、私たちは安心感、安らぎを感じるのではないか。」

センスを身につける [実はいちばんはじめに大切なこと]

ことばのおかげで考えることができ、人と心をわかちあうことができます。その根源は身体を使って出す音とリズム。ふれあい、つながるという営みがことばの本質です。声の音とリズムが、身ぶり、手ぶり、表情と結びついて、イメージできるからことばになるのです。ことばは、五感を使った総合的なセンスで、ふれあうこと、やりとりすることです。

To err is necessary. (間違えることが必要条件)