小さな修養の原理 ③ (いちばんの力は?)
じぶんの声が最大の味方。いちばんの力です。声に出す時:① じぶんでそのことばを聞いている。② わずかの時間でくりかえせる。③ くりかえすことばが思い出しやすい。④ ことばにする行為自体が身につく。声を出す時間、2-3秒という小さな行為(マイクロアクション)だからこそ、たくさんくりかえせます。これが修養の基本原理です。
What goes out is what comes in.(出力が入力になる)
じぶんの声が最大の味方。いちばんの力です。声に出す時:① じぶんでそのことばを聞いている。② わずかの時間でくりかえせる。③ くりかえすことばが思い出しやすい。④ ことばにする行為自体が身につく。声を出す時間、2-3秒という小さな行為(マイクロアクション)だからこそ、たくさんくりかえせます。これが修養の基本原理です。
What goes out is what comes in.(出力が入力になる)
プラクティスとは、意識した「練習」だけではありません。それは全体のごく一部。気づかずにくりかえされている、じぶんの心身の動きです。プラクティスの95%は、無意識的。たとえば、ほんの数秒が待てず、いらいらすること、ありませんか?それは「いらいら感じる」プラクティスをしているのです。そう捉え直すことで見え方が変わります。
You are practicing judging something without knowing it.(知らないうちに、答えを決めるプラクティスをしている、じぶん)
アリにはアリの、チョウにはチョウの、サクランボにはサクランボの世界があります。みなそれぞれちがう、じぶんの世界を生きています。生物にとって、意味あることだけが知覚されます。ユクスキュルはそれを環世界 と呼びました。「行動は刺激に対する物理反応ではなく、環世界あってのもの。」私たちはじぶんという風土を生きているのです。
Cultivate your mind.(じぶん風土を育てよ)
セラピストのユリコさんは、こう言います。「求めないことです。じぶんを苦しめているのは、求めすぎていることに気づかないから。じぶんで決めつけないで、ゆだねることで、心がひらくのだと思います。」私たちには、ゆだねる、というチカラがあります。じぶんの心と戦わないでいいのです。ひと息の声を出すことで、そのチカラが使えます。
Let it go – あゐてにふすいま(相手にゆだねて)
精神とは、人間の頭の中にあるのではありません。人間の心(mind)は、人間の外側にある自然界が映し出されています。人間だけが精神的に生きているのではなく、すべての生き物がじぶんの物語をつくって生きています。精神とは、物事の関係、相互作用の連続、結びあわせるパターンのことです。じぶん中心を忘れると見える世界が変わります。
You can always see things differently.
私たちは、ずいぶん小さい頃から、人に教わったことを優先してきたようです。「問題」と聞くと「答えを出さないといけない」というふうに。でも、本当に大切なことは、問いを立てることです。問題を考えることが、基本原理。そう、私たちの日常も、じぶんに聞くことなのです。じぶんにたずねるだけで、物事はちがって見えてきます。
Am I relaxed? 身体の力を抜いた?
アリの気持ちなんてわかるはずない?では、人間の気持ちならわかりますか?じぶん自身の気持ちはわかっているのでしょうか?じぶんもアリと同じぐらいかもしれません。相手の身になろうとしてみるかどうか。気がつくかどうかはそれからです。たしかなことがひとつ。なろうとしなければ、わからない。なろうとするから、わかる可能性が生まれる。
Resonate.(共鳴)
梅田規子さんは言います。「心は見えないが、動いている。空気の動きが融合し、まとまりとして統合する。まとまり同士がさまざまなパターンを生み出す。そのようにして私たちは、心を通わせたり反発したり、影響されたりしている。この世はなんとも不思議で、わくわくする。」エンパシームで、そんな不思議な体験をかいま見ることができます。
Inspire wonder.(ふしぎを胸に)
レジリエンス(心の回復力)。心の病が増加する一方の現代社会。単に、脳の問題ではなく。免疫系(食べ物や腸内細菌までも含めた、体全体)の問題です。負けない心というと、ガマンしてがんばるイメージがありますね。でも、いつも無理を強いていたのでは、心も体も持ちません。まず、じぶん自身にやさしく、ひと声、かけることです。
Be resilient.(心の免疫力を高めよう)
古い地名・人名・神社名・伝承から日本人の信仰や意識の古層を解き明かし、民俗学の発展に大きな功績を残した谷川健一さんはこう言います。「古代の歴史は「耳と目の結婚」として象徴的に捉えられる。」この話は示唆的です。人間のことばも音のつながりとイメージを結びつける働き。 耳(聴覚)と目(視覚)の結婚で言語が誕生したのです。
Listen to what you can see.(見えるものに耳を澄ます)