
コミュニケーションということばを聞いて、何を思い浮かべますか?
思いや考えを伝えること、相手の言うことを理解すること、でしょうか?
だとすると、伝えるべきことばが先にあって、それを表現し伝達する、という順番になりますね。それは本当でしょうか。
コミュニケーションというと、「意志の伝達や理解」の部分だけを考えますが、実は、実態は、すこし違うのです。
ことばよりも先に、相手とじぶんが、何かをわかちあえる状態、つながった状況が先にあります。
赤ちゃんとして生まれた頃、お母さんと共にあり、それを感じあう状況が先にありました。そしてそこで、ふれあいのやりとりが生まれていたはずです。
そのような状況が、刻々と、連続的にできる中で、「コミュニケーション」を身につけてきたのです。
じぶんと他者が、連続している状況ができるから、コミュニケーションが生まれる。それを包み込む環境があり、そこで、やりとり、かかわり、ふれあい、そしてことばが生まれてくる。ことばよりも、前に相手がいるのです。
チャールズ・パースは、自他の連続的つながりをつくり、結びつける力を「シネキズム」と呼び、このようなことを説きました。
・あらゆるもの、物体的表現さえも、心の性質を持つ。
・心の本質は、単なる感覚質や意識そのものではない
・心は、感覚質の間に確立された関係、すなわち習慣である。
・心とは、内部的な対話の存在である。われわれは常にじぶんに話しかけている。
・思考と呼ばれているものは、他者とのコミュニケーションから派生したものに他ならない。
パースは、じぶんの外から内側にむかって、心は発展してきたのだというのです。 ふだんの常識は、便宜的で、むしろ、さかさまに考えた方がよいのですね。
私たちは、共感的な場の連続性の中で生きている。
We live in empathy.
出典:チャールズ・パース『連続性の哲学』