地球のふるまいの縞模様 [気づきのカプセル]

湖底に堆積した花粉や昆虫の化石でできた縞模様(年縞)で、太古の地球のふるまいを知ることができます。おなじように、エンパグラフも、じぶんの手や声、空気の様子など、ふるまいの小さな「つぶ」を集めることで、じぶんをふりかえります。単なるデータの復元ではありません。あなた自身のふるまいと想像力を活かす「気づきのカプセル」です。

It’s a time capsule.

心の世界は五感を結いあわす[さかさまにすると誤解にも気づく]

想像力とは、異質なものをイコールでつなぎあわせること。ひらめきは、五感を結いあわせるような営み。さかさまにすると気づきます。「古池や 蛙飛こむ 水の音」の誤解にも。長谷川櫂さんは、このように説きます。「芭蕉は、蛙が飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべた。古池は「蛙飛こむ水の音」が芭蕉の心に呼び起こした心の世界である。」

Inspire all your senses.(五感を澄まして)

静穏の鏡

Stillness is the way. (静穏が道をひらく)

静穏の効用とは、よく聞こえること。聴覚は、視覚と違って、オフにできません。聴覚は身を守る大切な機能。でもそのおかげで、いらないものも入ってきます。だからこそ、静穏は、じぶんでつくるもの。静かな場所で、ひとりすわり、身体の力を抜くことです。エンパシームは、「静穏の鏡」になります。本当に、鏡のように、映しだす働きをします。

チューブのじぶんをふりかえる方法

便通は腸の活動の証。健康を知るうえでいちばん大事な手段。ところが「きたないもの」という思い込みがあって、大事だと理解しても具体的な行動になりません。快眠・快食・快便・快歩。英語の頭文字で、S・E・P・W。ほんの一瞬の「ふりかえる」できごとをしるしにつけるだけでフレーム(思い込み)をとりかえ、習慣づけることができます。

How many times do you do it in life?

共感を生きる

共感は誰かのために時間を使い、相手の気持ちを感じることです。また、感じたことを表現すること、じぶんを語ることでもあります。共感は、人から共感される経験によって身につくもの。相手は人間だけではありません。動物、植物、自然の不思議。自然への共感とは、自然から共感される体験です。自分と相手との境界がなにかしら曖昧になる体験。

Live empathy.(共感を生きる)

相手の身になって「体取する」学びこそ

数学者・岡潔はこう言います。「他の悲しみを自分の悲しみとするというわかり方を道元禅師は「体取」(たいしゅ)と言っている。理解は、自他対立的にわかるのであるが、体取は自分がそのものとなることによって、そのものがわかることである。」共感することは、体取して、まなぶことです。じぶんが相手の身になった時、「わかる」のです。

Embrace.(心に抱いて)

身についたふるまいは美しい

「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨かな」江戸時代の俳人・滝瓢水の一句。海に入る直前でも、雨には濡れないように、じぶんの身体をいたわる海女さんの姿に、一瞬ハッとして、じんわりと共感のまなざしを抱いた様子。蓑を着る海女さんのようでありたい。身についた、ていねいなふるまい。やさしく、遠くからみまもる時に生まれる共感の心。

What you see is how you feel.

Life happens

生きるとは、何かが起きていることです。人生という名詞にすると、動きが感じられなくなります。Lifeは生きていること・生きていくこと。英語のhappenの、hapという語幹には「起きている」という意味がありまた。”hap”している状態のことをhappyといいます。何かが起きていることが感じられるからhappyなのです。

Life is what happens.

エトルリアにつながる②

エトルリアの港町のタルクィニア。D.H.ローレンスは『エトルリアの遺跡』でモンテロッツィの墳墓壁画『狩と漁の墓』の情景に入り込み、生命の躍動を細やかに描写しています。心を寄せている対象が大きく、色鮮かに際立って描かれます。現実にはこのような光景はありません。が、生きている人の真実が描かれているから躍動感が生まれます。

Less is more.(現実を減らせば、真実が増える)

エトルリアにつながる①

イタリア・トスカーナ地方はローマ帝国以前、600年に栄えたエトルリアでした。多くの文化遺産を残しましたが、その存在は忘れられています。文字で記された歴史が未解読だからです。が、近年のDNA比較分析でトルコの地中海沿岸都市から集団移動があったことが明らかにされました。トルコ人のデミルさんがこんな話をしてくれました。

We are connected in time.(じかんを超えてつながっている)