Seed by Seed ① [プラクティスが生み出すタネ]

英プラ、毎プラ、ともに、エンパシームの中にシード をつくります。シードは、あなたのプラクティスでできる、声ことばのタネ。エンパシームの中にタネがまかれます。ひと息ごとの声を記録します。でも、単なる録音ではありません。静かにすわり、流れに委ねて身体から出すときのじかんが入っています。後で気づきをうる「プラクティスの証」。

Sow a seed.(タネをまけ)

空気・じかん・音のつぶ [エンパシームの原体験]

5才の夏休み、テープレコーダとの出会い。箱の中は茶の間より、ずっと広く感じました。音がヒモに写って、もう一度出てくる時、さっきよりよくなっていました。これがエンパシーム原体験。50年たって、声のことばに色や模様がつき、じぶんの「じかん」をつぶのようにして、並べたり、分かちあったりする、本物のエンパシームが完成しました。

Life is wondrous.(生きていることは、不思議)

プラクティス「やきおにぎり」

おいしい焼きおにぎりとは?香りをかぎ、音を聞き、色を見て、丹念に、手を動かす。みまもる姿勢が、おいしさに変わる。すべては自然の力。その現象のまわりを、手入れするだけ。あせらずに、楽しみ待つこと。人のためにつくるから、心がこもる。みんなでわかちあえるから、おいしい。七輪炭火の焼きおにぎりは、じぶんをプラクティスする場。

Relish your moment.(この時を味わおう)

学びの原点は、みて、ふれて、感じること。

ヘンリー・ソローは言います。「ゆっくりすることが哲学のはじまり。知恵は調べることでなく、じっくりみること。」木、花、葉、土、水、空気。あらゆるいのちにふれることです。はじめに共感があり、体験を深め、自然について繊細になること。その後から、知識が結びつき、学ばれるのです。自然の営みに触れることが学びの原点です。

Slow are the beginnings of philosophy. (ゆっくりすることが哲学のはじまり)