心はどこにあるの?
あるお寺にやってきたのび太とドラえもんの会話。(のびた)お寺はどれなの?(ド)どれが、じゃなくて全体でお寺。建物も仏像も、お坊さんも、お経も、みんな含んで、お寺っていうんだよ。いろいろな要素が集まり、抽象されて、お寺という概念になります。おなじように、心もひとつの概念です。どの気持ちが心なのか?ではありません。
It’s a mistake!
あるお寺にやってきたのび太とドラえもんの会話。(のびた)お寺はどれなの?(ド)どれが、じゃなくて全体でお寺。建物も仏像も、お坊さんも、お経も、みんな含んで、お寺っていうんだよ。いろいろな要素が集まり、抽象されて、お寺という概念になります。おなじように、心もひとつの概念です。どの気持ちが心なのか?ではありません。
It’s a mistake!
スピノザは、「人間の本質は、その人の自然な力が発揮されることである。」と言います。そして、「どのように生きよ」という道徳や教育よりも、じぶんが手持ちの力で生きることを倫理として説きました。私たちには、相手と同じような存在であるという感覚、他者に共感できる力があります。それは制約の中でこそ活かすことのできる最大の力です。
You’ve got the power!(すでにその力があるんだよ)
oǒ’boǒntoō (Ubuntu)
アフリカのズールー語で「ウブントゥ」ということばがありました。人の心を表す太古からのことばです。I am because we are.(じぶんは、みなと共にあるから、存在している)私たちは、だれひとり、ひとりぼっちではありません。そのような人間はどこにもいないからです。他者とつながっているからこそ、人間なのです。
コミュニケーションとは「思いを考えを伝えること、相手の言うことを理解すること」ではありません。脳内にことばの在庫のようなものがあり、それを選んで表現し、伝達するかのように思いがちです。が、実は、相手とじぶんが「つながる状況」できるからこそ、その都度、ことばがつながりをもって紡ぎ出されるのです。それがコミュニケーション。
The world is mindful.
マイケル・ファラデーは、ロウソクの燃焼で起きていること、呼吸によって身体内で起きていることは同じであると、様々な実験で明らかにしました。異なる物質どうしが親和して化学物質をつくりだす様子の観察は、いのちあるものと、じぶんとのつながりを学ぶ道になります。目には見えないものも、共感と想像の力で触れることができます。
Be a candle.(一本のロウソクになれ)
いまから60年も前に、人間とコンピュータの共生を構想した人、ジョセフ・リックライダーさんとの仮想対話です。共生ということばはあるけれど、テクノロジーの進歩に人間の思想が追いついていません。人間の社会が乗り越えていくべき課題があります。でもAI化が進めば、じぶんが生きる以外はないことはより明らかになるでしょう。
Imagination takes you anywhere.(想像はどこでもドア)
Inspire imagination. ひらめく。
「I’m humbled. じぶんが謙虚な気持ちになれるという意味です。ありがたいと思える時。共感を抱く気持ち。物事を素直に受け入れる時、心のとびらがすっと開きます。humbleになれば、未知の可能性が生まれます。それは、じぶんに気づくこと。声に出して言ってみましょう。静穏の空気に声が響く時、humbleになっています。
近代経済学の父・アダム・スミス、実は人間の心を研究しました。「共感」をもとにして、社会秩序を確立することを理論化したのが『国富論・国の豊かさと本質についての研究』です。一方、エコノミーは共感の要素でもあります。人間の思考や行動は、心身・環境の影響で変化します。心のエネルギーをどう使うか。人間の心もまたエコノミーです。
I’m energized. (元気がわいてくる)
ことばは、身ぶり手ぶり、声のふるえ、間など、身体表現によって思いを共有すること。相手とふれあう想像的な行為です。リズムと音を伴ってイメージを湧かせる、共感的な想像こそ、言語の本質です。概念や論理で意味を伝える手段という以前に、またそれ以上に、気持ちの共有なのです。その感覚を身につけることが、ことばを身につけることです。
Philosophy is not a theory but an activity.(哲学は理論ではなく行動)