意味って何?③ [共感した時に意味ができる]
百人一首でおなじみの歌「田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」。「富士山に雪が降っているなぁ!という意味。何か変だと思いませんか?ミステリーの種明かしは本編をごらんください。他者とおなじ体験をすることで、じぶんに見えるものが変わります。共感した時にじぶんとのつながりができ、意味が生まれるのです。
Invisible things are the only realities.(見えないものだけが真実の姿)
百人一首でおなじみの歌「田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」。「富士山に雪が降っているなぁ!という意味。何か変だと思いませんか?ミステリーの種明かしは本編をごらんください。他者とおなじ体験をすることで、じぶんに見えるものが変わります。共感した時にじぶんとのつながりができ、意味が生まれるのです。
Invisible things are the only realities.(見えないものだけが真実の姿)
何でもルーティンにすることは現実的に不可能です。想像の力でルーティンを補う必要があります。どんな学びにも共通することは、いま、ここで起きていないことを想像することです。相手の身になって感じるような、共感的な想像力を発揮させることが、いわば、修養の共通ルーティンになります。想像のプラクティスをルーティン化することです。
Imginative experiences seed your senses.(想像の体験がセンスを磨く)
「いつか、きっと帰ってくれると信じていた。だから引っ越さずにずっと待っていたのよ。」インドで現実におこった、数奇な実話をもとにした映画『Lion』は「存在のありがたさ」に気づかせてくれます。じぶんのために生きている人がいる。じぶんもひとのために生きている。生きていること自体が人のためになる。それが「存在のありがたさ」。
We live for others.
共感とは、じぶんと他者がつながっていること、そのもの。もともと、私たちはみな「空気」でつながっています。でも、つながっているものを、ふだんは「わけへだて」しながら生きています。だから「じぶんと相手を結びつける」というのは結び直すこと。もともとつながっていたことを、忘れているのです。共感とは、その事実に気づくことです。
We are already connected!
マイケル・ポランニーはこう言いました。「人は語れるより、多くのことを知っている」。暗黙知ということばで知られます。人間の知性の本質は「コミットメントによる知」だと言うのです。「コミットする」とは、物事をじぶん自身としっかり結びつけることです。心をこめる。身をもって関わる姿勢が学びと知性の本質。共感を活かすことです。
We know more than we can tell.(人は語れるより、多くのことを知っている)
サラマンダーが水面にのぼり、パクッと空気を吸ったかと思うと、またもぐって水中をゆらゆら。倒れた木の肌にそって泳いだり、藻にくるまったり。なんとも言えず、うれしい気持ちになります。これぞ、知魚楽の共感!心はじぶんの外側に広がっています。外側の広がりを感じることが内側の深まりになり、内側が深まると外側はもっと広がります。
Be alone to feel connected.(ひとりだから、つながれる)
私たちは「原因→結果」という線の考え方に慣れています。一方、「原因と結果をつつむ場の性質」についてはあまり考えません。岩田慶治さんは、こう言います。「飛ぶ鳥が道を間違わないのは、空中に道があるからである。出発点が到達点だったのだ。このことは人生の生死を考えてみれば、よくわかるだろう。表裏一体、生死はひとつなのである。」
Life is not a one-way street.(人生は一方通行ではない)
人間の本質を表すことばが数多くあります。ホモ・サピエンス(知性をもつ存在)、ホモ・ファーベル(ものをつくる存在)、ホモ・ソシアリス(集まる存在、ホモ・ルーデンス(遊ぶ存在)など。私たちは、ホモ・エンパテマ(共感する存在)でもあります。宇宙の中の、たったひとつのじぶんであり、同時に、すべてのものとつながるじぶんです。
We are practitioners.(プラクティスする人)
あるお寺にやってきたのび太とドラえもんの会話。(のびた)お寺はどれなの?(ド)どれが、じゃなくて全体でお寺。建物も仏像も、お坊さんも、お経も、みんな含んで、お寺っていうんだよ。いろいろな要素が集まり、抽象されて、お寺という概念になります。おなじように、心もひとつの概念です。どの気持ちが心なのか?ではありません。
It’s a mistake!
スピノザは、「人間の本質は、その人の自然な力が発揮されることである。」と言います。そして、「どのように生きよ」という道徳や教育よりも、じぶんが手持ちの力で生きることを倫理として説きました。私たちには、相手と同じような存在であるという感覚、他者に共感できる力があります。それは制約の中でこそ活かすことのできる最大の力です。
You’ve got the power!(すでにその力があるんだよ)