Empathemian, Santa Cruz, CA

人間はひとくきのあしにすぎない。

それは自然のなかで最も弱いもの。だが、それは考える葦である。

「人間は考えるあし」ということばでよく知られるパスカル『パンセ』の一節です。

もしかすると、この有名なフレーズは、最も大きな誤解をされていることばのひとつかもしれません。
「動物や植物とは違って、人間はよく考えることができるから、人間が自然の中でいちばん偉い」という意味ではありません。

考えること、理性が人間の素晴らしさであるという意味は、もっと広く、深いものがあります。
パスカルはこの一節で続けて言います。

葦を押しつぶすのは、蒸気や一滴の水でできる。

人間は、じぶんの弱さを知るからこそ、尊いのだ。

「考える葦」というのは、そのように感じられることです。
葦になって考えること。
「じぶんが葦になること」なのです。

The heart has its reasons which reason knows nothing of.

心は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている。

理性だけではわからないことがあります。
心をひらいて共感できることが、先にあって、理性を包み込んでいるのです。
そのことに気づくことが、それ自身の理性。

I am a reed. (じぶんが葦になる)

出典・参照:ブレーズ・パスカル『パンセ』347、277、以下のエンパレットなど

「コミットメントとはじぶんとむすびつけること」

「じぶんから友になれ」

「「空気に包まれて、忘れていた」じぶんにあとから気づく」

「エンパシー: 共感はじぶんの心の証」

「パンセ」