共業(ぐうごう)[すべてのいのちは共に生きている]
共業(ぐうごう)ということばがあります。業は行為です。地球上のすべてが存在するという行為をおこなっている。世界はお互いが関係しあい、成り立っています。私たちはじぶんがいて、それが生きていると考えますね。でも実は、環境とやりとりして生きているという現象があるから、いのちなのです。いのちは「共に生きている」ということです。
We all live together.(みな、共に生きている)
みちびく –
静かに、心を落ち着ける
ちかづく –
手本に、近づける
ゆだねる –
ゆだねて、声をカタチに
くりかえす –
じぶんの声を聞く
とりだす –
ふりかえって書く
きいてみる –
じぶんにたずねる
よりそう –
人のことばによりそう
共業(ぐうごう)ということばがあります。業は行為です。地球上のすべてが存在するという行為をおこなっている。世界はお互いが関係しあい、成り立っています。私たちはじぶんがいて、それが生きていると考えますね。でも実は、環境とやりとりして生きているという現象があるから、いのちなのです。いのちは「共に生きている」ということです。
We all live together.(みな、共に生きている)
「自己を忘れる」は忘れる話というより、むしろ、忘れる体験を思い出すことです。端的に言うと自然に親しむことです。正法眼蔵には、親しむということばがたくさん出てきます。例えば「山河の親切」。共感的な想像を英語でempathy(エンパシー)と言います。相手を思いやる状態、親しくふるまう行為が「自己を忘れる」修養になるのです。
鳥が枝に降り立つとき、枝が折れないと信じているわけではありません。もし枝が折れたり、大きく揺れたりしたら、鳥は空へと舞い上がります。枝ではなく、じぶんの翼を信じているのです。心配ばかりしていると、飛べなくなってしまいます。何もしないうちに機会は過ぎ去ります。心配はいりません。あなたにはじぶんの力で飛べる、翼があります。
A bird trusts its wings, not the branch. (鳥は、枝が折れないことではなく、じぶんの翼を信じている)