中学数学から見えるAI|関数・座標・ベクトルで見え方が変わる③

AIの入口は、中学で習う関数です。入力があり、変換があり、出力がある。そこにベクトル、行列、確率、統計、学習をつなげると、AIのしくみが見えてきます。AIは魔法の箱ではなく、すでに学んだことの延長にあります。じぶんとつなげて考えることで、バラバラだった知識が、ひとつのしくみに変わります。

Connect the dots. It becomes a system. (点をつなぐと、しくみに見える)

ことばの多次元空間|AIの見え方が変わる②

AIは、ことばをベクトルとして扱います。ベクトルとは、多次元の特徴を数のまとまりで表したものです。ことばは、ベクトル空間に置かれ、近い、遠い、似ている、関係がある、といった位置関係として計算されます。AIという人工的な、つまり人間がつくった「知能らしさ」は、まさに、この「ことばの多次元空間」に生まれます。

AI maps the world into a vector space. (AIは、世界をベクトル空間に配置するしくみ)

AIはことばの変換機|AIの見え方が変わる①

AIは魔法の箱なのでしょうか。「入力 → 変換 → 出力」という捉え方で、AIは違って見えてきます。AIは、人間のことばをそのまま理解しているのではありません。入力されたことばを内部で数のまとまりに変え、関係を計算し、またことばとして返しています。答えているように見えるAIを、「ことばの変換機」として見てみます。

What is AI, really? (ほんとうのところ、AIって何だろう)

じぶんを〈見える化〉する方法|可視化・視覚化・カタチ化

じぶんの顔、歩く姿、声。じぶんのものなのによく見えない。じぶんの気持ち、ふるまい、クセ。じぶんのことなのにわからない。なぜ?①人間の目には直接見えない②じぶんの位置からは見えない③一瞬で消えて見えない④時間をかけないと見えない⑤あたりまえすぎて見えない⑥ことばによるきっかけがないと見えない⑦つながりで見ないと見えない

Visualize how you are.(じぶんの姿が見えるようにする)

じぶんがミッシングピースだった!

私たちは、自分の中に何か欠けたものがあると考えますね。でも本当は「じぶんに」何かが欠けているのではなくて、じぶんの存在する世界を忘れているのです。じぶんを包んでいる世界。じぶんもその一部であることを忘れているのです。じぶんのミッシングピースを探すのではなく、じぶんがミッシングピースになっていることに気づくことです。

I am the missing piece.(じぶんのほうがミッシングピース)

点を結ぶ線になれ (Connect the dots 真の意味)

Connecting the dots. このことばは、単に「点と点をつなげ」という意味ではありません。まずじぶんが歩いて、線ができれば後から点がつながる。失敗の体験も点になります。それらの点がなければ、後からつながりようもありません。点と点をつなげるものは、信じる心。じぶんが「線」になって、点と点を結んでいくのです。

Love what you do.

ゼロ人称のじぶん ③ (思う以前に動いている)

悲しいから泣く、怖いから震える。そう思いますよね。でも、実はちがうのです。泣くから悲しい。震えるからこわい。心が先にあり、身体があとから動くのではありません。環境の中で身体が動く。その動きが気分を生む。気分が変わると動きも変わる。身体の状態がふるまいに現れる。ふるまいが身体の状態を変える。その変化の中で心が立ち上がる。

Sad because we cry. (泣くから悲しい)

ひらめきの源泉 ⑤ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス

漱石『明暗』は、ポアンカレの「偶然=見えないほど複雑な因果」という着想を背景に、人間という存在の「明と暗」を描く未完の小説です。偶然は、ただの運・不運ではなく、心の中の未練や執着、虚栄や自己欺瞞も含む、見えない因果の網として現れます。未完とは閉じていないこと。未知に開かれた「わからなさ」の中にひらめきの源泉があります。

The unknown remains open.(未知はひらかれている)

ひらめきの源泉 ④ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス

中谷宇吉郎は、雪の結晶を「天からの手紙」と呼びました。そこには自然を相手と思いやる心があります。手紙は相手が時間をかけてつくったものが届き、それをひらく体験。相手の声の宿ることばがじぶんの心を浸していく体験です。「天からの手紙」着想の奥には師・寺田寅彦が、漱石の手紙を一つ一つ読み耽る風景の記憶があったのかもしれません。

I’m humbled and inspired.(ありがたく、はげまされる気持ち)

ひらめきの源泉 ③ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス

寺田寅彦は、漱石先生に会って話していると心の重荷が軽くなり、その存在そのものが心の糧であり薬であったと回想しています。漱石との対話に常にインスパイアされていた様子がうかがえます。ひらめきは、どこかから突然やって来るものでも、一方的に与えられるものでもなく、心のふれあいの中で相手にも自分にも生まれてくる相互作用なのです。

Inspiration is mutual.(ひらめきは相互作用)