Snow Crystal

Inspiration goes anywhere. (ひらめきは伝わる)

ひらめきの源泉③ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス のつづき。

中谷宇吉郎は、寺田寅彦の門下に学んだ物理学者です。寺田の弟子であり、漱石から見れば孫弟子にあたります。

中谷は『光線の圧力』の話で、こんな回想を残しています。

「『三四郎』のころのところに、寺田先生からこの話を聞かれてすぐ書き留めておかれたノートがあり、光圧は半径の二乗に比例し、重力は三乗に比例する、ということが英文で記されている。それから水晶の糸の作り方も書いてある。」

「漱石先生がこの話に興味を持たれて挿画まで入れて手記してあったのには実は少々驚いたのである。物理学を専門としている人の中で、この話を聞いて「はああパスカルの原理というのがありますからね」といってその話全体をすっかり忘れてしまうような人が全然ないとはいえないのである。

「漱石先生はこの手記の直ぐ後に「苦学ヲシテ卒業シタ人ガ嫁ヲ貰フ時ニ富豪カラ貰ヒタガルダラウカ。又ハ同程度ノ家カラ貰ヒタガルダラウカ云々 人事問題ノ解釈ハ硝子ガラスヲワル砲丸ヨリ余程複雑デアル。」と書き加えられている。」

漱石の姿勢を彷彿とさせるエピソードです。
そこには:

たずねて、描いて、 考える。
つくって、写して、深める。
ふれあって、語って、書き表す。

という、インスピレーションを育む姿勢があります。

I’m humbled and inspired.(ありがたく、はげまされる気持ち)

中谷宇吉郎は、『天からの手紙』で、このように言っています。

「雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。その中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。」

「雪を研究するという仕事は一人の人間が一生を費してやっても到底かたづくような問題ではない。」

「自然科学の研究というものが大体、どんなものであるかということを理解して下さればよい。 もっともそんな大それた目的だったら、もっと偉い西洋の学者の立派な研究の経過を紹介した方がよいとは私自身も十分知っているのであるが、そのような偉い人の偉い仕事の紹介はいくらでもある。それで極めて平凡な一人の学徒の平凡な研究の話も一部の読者には興味があるかも知れないと思ったのがこの本を作った主旨である。もし料理屋の立派な御馳走を喰べ馴れている人に、茶漬のような味を味わってもらえたら望外の喜びである。」

雪の結晶を「天からの手紙」と呼ぶ感受性。
そこには、自然を相手と思いやる心があります。

手紙は、相手が時間をかけてつくりあげたものが届き、それをそっとひらく体験。

こちらがたずねて相手がこたえるだけではありません。
相手からもたずねられ、それにこたえるのです。

相手の声の宿ることばが、じぶんの心を浸していく体験です。

中谷は『冬彦夜話――夏目先生に関する事ども』で、寺田寅彦から聞いた漱石の思い出を、次のように書き留めています。

「古い革の手提鞄を持って出て来られたのであるが、その中には漱石先生の自筆の水彩の絵葉書だの手紙だのが沢山はいっていた。それを一つ一つとりあげて独りで読み耽りながら、順々に私の方へ廻して下さった。そして色々漱石先生の追憶談を始められたのであった。」

「先生の自筆の水彩の絵葉書や手紙」を、一つ一つとり上げて読み耽る師の姿。
手紙は、ありがたく、大切なものです。
そこには、素直で、謙虚で、ひらかれた心があります。

雪の結晶もまた、そのような心で受け止めてはじめて、「天からの手紙」になる。

中谷が雪の結晶を「天からの手紙」と呼んだ着想の奥には、師が漱石の手紙を一つ一つ取り上げて読み耽る、その風景の記憶もあったのかもしれません。

ひらめきは、時と場所を超えて。

ひらめきの源泉⑤ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス へつづく(シリーズ最終回)

出典・参照:中谷宇吉郎『天からの手紙』『冬彦夜話』、関連するエンパレットなど
中谷宇吉郎『光線の圧力の話
『冬彦夜話ー夏目先生に関する事ども』
ひらめきの源泉 ① 漱石のサイエンス=アート=プラクティス 
ひらめきの源泉② 漱石のサイエンス=アート=プラクティス
ひらめきの源泉③ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス