Empathemian: Imagined Conversation between Natsume Soseki and Terada Torahiko, 1908

Inspire others. (他者にひらめきを)

ひらめきの源泉② 漱石のサイエンス=アート=プラクティス のつづき。

『夏目漱石先生の回想』の中で、寺田寅彦はこのように書いています。

「先生からは、実にさまざまなことを教えられた。俳句の技巧を教わっただけではない。自然の美しさを自分自身の目で発見することを教えられた。同じようにまた、人間の心の中の真実なものと偽りのものを見分け、真なるものを愛し、偽なるものを憎むべきことも教えられた。

しかし、自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては、先生が俳句が上手かろうが下手だろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんなことはどうでもよかった。まして先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題でも何でもなかった。

むしろ先生が、いつまでも名もないただの学校の先生でいてくれたほうがよかったのではないかとさえ思うほどである。先生が大作家にならなかったら、少なくとももっと長生きされたのではないかという気がするのである。

いろいろな不幸のために心が重くなった時、先生に会って話をしていると、その重荷がいつのまにか軽くなっていた。不平や煩悶で心が暗くなった時に先生と向き合っていると、そういう心の黒雲がすっかり吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。

先生という存在そのものが、心の糧であり、薬であった。こうした不思議な影響が、先生の中のどこから流れ出ていたのか、それを分析できるほど客観的に先生を見ることは自分にはできないし、またしようとも思わない。

花の下の細道をたどって先生の門下に集まった多くの若者たちの心は、おそらく皆、自分と同じようなものだったろうと思う。だから、ここに書いたこのまとまりのない追憶が、まるで自分だけが先生を独占していたかのように読者に見えるとすれば、それは他の多くの門下生たち一人ひとりの偽りのない気持ちを代弁するものとして、理解し許してもらうべきだと思う。

そうした同門の人たちと、先生の没後の今日、時折何かの機会に顔を合わせるたびに感じる、言いようのないなつかしさの奥には、千駄木や早稲田の先生の家での、昔の楽しい集まりの記憶が背景として隠れているのだろう。」

Inspiration is mutual.(ひらめきは相互作用)

ひらめきは、どこから来るのか?
だれかにもらうものなのか?

夏目漱石と寺田寅彦は、11歳離れた師弟関係でした。(*注1)けれども、それだけではありません。二人のあいだには、親しい対話と交流がありました。そのやりとりが、漱石にとっても着想の源になっていたことが、作品からもうかがえます。

インスピレーションは、どこかから突然やって来るもののように語られがちです。あるいは、特別なだれかが与えてくれるもののようにも思われています。

けれども、ここで起きているのは、それだけではありません。人とのやりとりが、相手の中だけでなく、自分の中にも新しい考えを生む。ひらめきは、一方通行ではないのです。

ひらめきは、ただ受け取るものではありません。相手の中にひらめきを起こすことが、自分のひらめきにもなります。

人をインスパイアできることなんて、じぶんにはない。
そんなふうに思わないでよいのです。

何よりも、たずねることです。
そして、じぶんから語ることです。

特別なことを言う必要もありません。
おもしろいと思ったことに、素直に質問する。
それだけでも、相手の心は動きます。

これは、励ましにも似ています。
人を励ますことが、じぶんを励ますことにもなる。

ひらめきもまた、同じです。
インスピレーションは、相互作用なのです。

ひらめきの源泉 ④ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス につづく(明日の配信後)
ひらめきの源泉 ⑤ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス (明後日の配信・最終編)

出典・参照:以下の論文・文献および、関連するエンパレットなど
夏目漱石『三四郎』(青空文庫)
寺田寅彦『夏目漱石先生の追憶』
中谷宇吉郎『光線の圧力の話
ひらめきの源泉 ① 漱石のサイエンス=アート=プラクティス 
ひらめきの源泉② 漱石のサイエンス=アート=プラクティス

(*注1) 夏目漱石は1896年(明治29年)に熊本の第五高等学校に赴任。寺田寅彦は熊本で漱石に学び、その後、東京でも教えを受けました。二人の師弟関係は、漱石の死去まで長く続きました。