だれの都合で探してますか?
「気づきが大切だとよく言われます。でも、気づくとは、そもそもじぶんでは気づいていないことに、「あ!そうだったんだ」という思いが浮かんでくることです。「じぶんにとって気づくべきこと」が、湧き上がってこない状態。じぶんの心の中は、だれも教えてはくれません。気づこう!と意識することではなく、じぶんの姿をふりかえることです。
Are you sure about this?(これでいいの?)
「気づきが大切だとよく言われます。でも、気づくとは、そもそもじぶんでは気づいていないことに、「あ!そうだったんだ」という思いが浮かんでくることです。「じぶんにとって気づくべきこと」が、湧き上がってこない状態。じぶんの心の中は、だれも教えてはくれません。気づこう!と意識することではなく、じぶんの姿をふりかえることです。
Are you sure about this?(これでいいの?)
スペイン・カタルーニャ地方のカルソッツは冬の風物詩。炭火で真っ黒に焦がした太い長ネギ。片方の手で、焦げたアツアツの外側部分をつかみ、もう片方の手で内側の芯をスルリと抜き出します。ぶらぶらするネギの下先をロメスクソースに浸し、天をあおぐようにして口の中に差し入れます。はじめて自転車に乗った時のように、思い切ってやること。
Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.(失敗したことがない人とは、何も新しいことをトライしたことのない人)
「わかる」という感覚は、じぶんとつながりがつくこと。関連づけ、結びつきができることです。英語のUnderstandは「対象する物事や相手の、下に立つ」「相手の身になって関わる」という意味から来ています。対象となるものごととじぶんを結びつける、具体的な身体体験。それを後からイメージができることが「理解」になるのです。
You only understand something relative to what you already understand.
長い間旱魃が続き、土地も干上がっていたカリフォルニア。この年末年始、それが一転して暴風雨に見舞われました。各地で洪水の被害。ワインの産地ソノマでも葡萄畑は水浸しになりました。あるワイン生産者はこう語ります。「暴風雨による浸食は問題ですが、ブドウ畑に発生するフィロキセラ(害虫)の発生を抑えられます。だから恵の雨ですよ。」
Adversity strengthens the foundations
(雨降って地固まる)
学習とは、中に取り込むことで、出すことは別のことだと思っていませんか。実はそうではないのです。声に出してことばを出力し、じぶんで聞くこと。それを書いて刻むこと。それを繰り返すことが「入力」になるのです。出力を写すことこそが、まなびです。「エンパシーム」は、じぶんの声ことばを、音声のまま写し、書きことばにも写します。
Learning is to reflect on what you output.(学びとはじぶんで出力してふりかえること)
ショーンさんのことば(音声付き)から。「人生はポーカーに似てる。配られた手持ちのカードでプレイするしかない。手がいいから勝てるわけでもない。実際、強い人はいい手をもっているわけではない。人生はなんて不公平なんだろう、などと考え出したら、気が狂いそうになるけど、本当はそうじゃない。いま生きていることがすばらしいんだ。」
Everyday is a bonus.(毎日生きていることがボーナス)
「人間は考える葦」で知られるパスカル『パンセ』。「動物や植物とは違って、考えることができるから、人間は偉い」という意味ではありません。パスカルは言います。「葦を押しつぶすのは、一滴の水でできる。人間はじぶんの弱さを知るからこそ、尊いのだ。」心をひらいて共感することが先にあって理性を包み込んでいる。それが心の理性です。
I am a reed. (じぶんが葦になる)
「チャンス」に関わるじぶんの姿勢によって、未知の可能性を見捨ててしまうことにもなります。じぶんが損することばかりを怖れたり、じぶんが得することばかりを期待すると、その分、バイアスがかかります。力を抜いて、平静に、チャンスにむきあうには、やってみることです。あたらしいことが起きると状況は変化するからです。
Courage is resistance to fear, mastery of fear – not absence of fear.
バランスをかくとは?何がかたよるのでしょうか?それは「チャンス」です。まだわからない、未知のことに対する姿勢。その姿勢が、バランスを欠いてしまうのです。人間の合理思考は限定的で、損失することにとても敏感になるバイアスが知られています。じぶんが得することを前提にするために、未知のことに対しての姿勢がかたよるのです。
How do I get neutral? (ニュートラルになるには?)
「修養」は姿勢を正すプラクティス。姿勢を正すとはバランスを保つこと。バランスとは、天秤にかけ、かたよりを減らしたり、なくしたりすること。その時、比べるものがない、考えがひとつしかない、のでは、バランスのとりようがありません。行き過ぎ、やりすぎ、過剰だと感じた時には「反対のこと」を思い出し、それを声にして言ってみるのです。
How am I doing?(バランスとれているかな?)